過去との対話を楽しめる…そんな人間でありたい

まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

005) 天国の恩師へのレジュメ……パリ・コミューンとは

 

 

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自由の女神についても、語る日が来るのだろうか

1871年と2021年

 

実は今年2021年は パリ・コミューン 150周年
が、それが語られることは、寡聞にして少ない

 

というか、ぼくだって、今回本を読んでみて、
今年が150周年であることに、きづいたぐらいだ

 

それだけ、パリ・コミューンは忘れ去れている

 

高校の世界史に数行出てくるだけのそんな存在
大多数の日本人は存在自体を知らないだろう

 

むろん、50年前の100周年のころはまだそうでもなくて

 

二冊の概説書
パリ・コミューン」 (岩波新書) 桂 圭男
パリ・コミューン」(中公新書) 柴田 三千雄

 

 

このどちらも、そのころに出版されている
それ以外にも、70年前後は、数多く本が出版されたみたいだ


この50年で空気がここまでかわったのは、
やはり「社会主義」に対する期待のあるなしだろう

 

「史上初の労働者政権」

 

これが画期であると評価したとしても、
「だからそれが何?」
という感じだろうか

 

しかし、パリ・コミューンとは、本当にそういうものなのだろうか

 

と、その前に……


……
そもそも、パリ・コミューンというのは、なんだろうか
ぼくなりに解説をしてみると……

 

パリ・コミューンとは……

 

19世紀後半
プロイセン・フランス戦争普仏戦争)にフランスはコケ負けする

プロイセン軍に包囲されつつもパリ市民はあきらめず、徹底抗戦を唱える

 

そんな中で
ナポレオン三世第二帝政がたおれてできた臨時政府は
口先では「徹底抗戦」と言うものの
結局は、プロイセンと屈辱的な講和をする

 

臨時政府の首班ティエールが市民軍「国民衛兵」の武装解除を試みたとき、
市民たちはそれに反抗し、自治組織「コミューン」を立ち上げる

 

そうして生まれた自治政府パリ・コミューン
市民たちの直接民主制的な運営によって、さまざまな社会改革を進めようとする

 

だが、しかし
たった2か月で臨時政府軍に徹底的につぶされる……

 

「史上初の労働者政権」と評価されることも多い

 

と、まあ、こんな感じだろうか

くわしくは、Wikipediaでもご覧ください

 

ja.wikipedia.org

 

歴史ジャンルは必ずしも信用性が高くないWikipediaではあるが、
パリ・コミューンについては、信用性が高いと思われる

 

さて、二冊の概説書を、何十年かぶりに読み返してみて……

 

パリ・コミューン」 (岩波新書) 桂 圭男

 

こちらの方は、良くも悪くも正統というか古典的というか……

 

すぐ前に、80人の議員のうち、「近代的工場労働者は皆無」と言及しているのにも関わらず……

 

パリ・コミューンは、まさしく資本主義的搾取と疎外からの人間の解放を窮極の目的とする、社会主義的革命政府である」(桂圭男(1971) pp.144-145)

 

と規定しちゃうところなんて、ほんと、懐かしい感じ

 

はしがきに
パリ・コミューンは労働者の闘争の産物であり、労働者のための革命政府である」
とあるように、

答えは先に決まってるのだ

 

が、パリ・コミューンという歴史現象を詳しくまとめてくれていて、ある程度研究史も書かれているので、
何が起こったのか、を知りたいのであれば、非常にためになる本です

 

しかし、こういう引用をきちんとするのも何年ぶりだろうw いやいや何十年ぶり?

 

パリ・コミューン」(中公新書) 柴田 三千雄

 

一方、課題図書だった、こちらはというと……

 

この本で強調されるのは
「自由なパリ」 民衆的解放感である

 

つまり、敵による包囲の日々、敗戦、そして臨時政府のパリへの挑戦、
こういうものに対する自発的な「防衛」であり、「祭り」なのである

 

1971年3月18日、市民たちが立ち上がり、政府軍は追い出される
3月26日、コミューン選挙が行われ
3月28日、コミューン宣言が出される

 

その際、民衆派の新聞は論説する
「コミューンは、革命的で愛国的な、平和で陽気な、酔いしれて荘厳な、偉大で歓喜にみちた祭りの一日に宣言される」(柴田三千雄(1973) pp.117)

 

「民衆運動の基本的な三つの特徴、すなわち「警戒」「暴力」「お人好し」」さが、
「民衆に特有な無邪気さ、善良さ」が、コミューンを支配する

 

なぜならば、「民衆運動の基本的な単位が地区ごとの自立的な組織である」から
「民衆にとっては、彼らが生身で感じうる局地的な地域共同体がすべてであり、彼らが生きる現実」だったから(柴田 pp.140-141)

 

「コミューン」という「祭り」、そして民衆たちの自発的な直接民主主義

 

150年後の現在、たとえば地域世界やネット世界でしばしばみられる「コミュニティ」の壮大で、かつ素朴なかたちがここにはみられる

 

何十年後の今、読み返してみて……

 

パリ・コミューンは「祭り」……

そんなこと、ゼミナールの当時、何十年前、そんなこと、思いをしなかった

 

文字を読んでも、本を読んでいるわけじゃない
いまさらながらに気づかされた

 

今ようやく少しは読めたということは、きっと成長している証
何十年の間の割には進歩はとてつもなく小さいけれど

 

進歩があっただけ、ましだと思おう

 

天国の恩師に何十年かぶりのレジュメを書きました
届きますように……

 

 

おまけ……


そういえば、
パリ・コミューンといえば、大佛次郎の「パリ燃ゆ

人生で2度ほど、読んでいるけど、これを機会にまた読み直したい

と、思いつつ……

 

今回の文章をかいていたら、

大佛次郎記念館で パリ・コミューン150年記念展をやっている

 

osaragi.yafjp.org

 

osaragi.yafjp.org

 

というわけで、近いうちに観に行ってこようと思う
その辺もご報告できれば……