007) 港の見える丘公園にて
横浜を歩く
港町は、坂の町である
長崎も、神戸も、横浜も
そんな横浜を歩く
山を上ったり、下ったりしながら、
山手公園、元町公園と写真を撮りつつ、散策する
古い洋館が立ち並ぶ街並み
外人墓地の横を抜けて、正面に港の見える丘公園
大佛次郎
「鞍馬天狗」シリーズ、「赤穂浪士」、「天皇の世紀」(未完)などで有名
じーさんのブログつながりにおいては
膨大な資料を基に執筆された、歴史ノンフィクション「パリ燃ゆ」
大佛次郎がパリ郊外のサン・ドニの美術館を訪れるところからその物語は始まり、
ナポレオン三世の時代、普仏戦争、そしてパリ・コミューンの盛衰を余すところなく描いている
そう、それは、名もなきパリ民衆による自治政府「パリ・コミューン」への
1500ページを超える一大叙事詩なのだ
人生の中で、二回ほど読んだが、
さすがに今回はまだ読んでいない
(さわりのさわりだけ目を通したが)
時間があれば、久しぶりに読みたいと思うのだが……
大佛次郎記念館
テーマ展示 パリ・コミューン150年記念「パリ燃ゆ~名もなき者たちの声」
土曜の午後、秋の割には暑い日
パリ・コミューンというあまりにもマイナーなネタにもかかわらず
パラパラと人が集まっている
パリ・コミューンの流れと、
それに関する版画や資料が展示されている
なかには、
ヴァンドーム広場にあるナポレオン円柱の破壊を描いた版画もあり、
前に紹介した二冊の違いを思い出す
この破壊について、次のように語られている
「お祭り行事に貴重な時間を空費した」(桂圭男(1971) pp.190)
「民衆はつぎつぎと革命の儀式をつくりだした」(柴田三千雄(1973) pp.126)
この相反する評価
パリ・コミューンを語ることは難しい
それは未完のまま生まれ、未完のまま終わってしまったはかなき夢だから
ご存じの通り、
現在のパリ・ヴァンドーム広場には、この円柱はいまだに立っている
パリの象徴として
パリ・コミューン崩壊の後、立て直されたのだ
パリ・コミューンに参加し、この破壊を主張した写実主義画家クールベは、このとき、膨大な再建費用を要求されたという
彼はフランスを離れ、スイスに亡命し、失意の中に生涯を閉じる
ヴァンドーム広場にあるナポレオン円柱の破壊
祭りとしての革命の象徴
いや、パリ・コミューンそのものの象徴なのかもしれない
かくも短き名もなき者たちの声
港の見える丘公園にて
大佛次郎記念館を出てみると、まだ陽は高い
遠くに、ベイブリッジが見えるこの風景
この風景で思い出すのが
橋本治の青春小説・桃尻サーガ(全6冊!4000ページをはるかに超える)の最終章
サーガの主人公たちの2人が
港の見える丘公園の展望台でベイブリッジを眺めるシーン
「青春」というものは必ず終わり
だからこそ、きちんと終わらせてやる必要がある
と、橋本治は言う
「青春」を終わらせるために
橋本治はこの風景を選んだ
サーガ最終巻「雨の温州蜜柑姫(おみかんひめ)」の時系列は逆になっている
未来から過去へと時間は逆行する
つまり
主人公の少女の未来、「その後」はわかっている
しかし、最終章の20歳の主人公にとっては
その未来はさまざまな選択肢の一つなのだ
まだ未来は始まってない
「青春というのはそんなもので、そんな時間はまだまだ永遠にあった」(「雨の温州蜜柑姫」橋本治 1993 p394)
未来への矢印
ヴァンドーム広場で円柱を倒したパリの民衆たちも同じ思いだったのかもしれない
その後の悲劇「血の一週間」を知る我々は「時間の空費」にしか思えないが……
「革命」というのはそんなもので、そんな時間はまだまだ永遠にあった
それは未完のまま生まれ、未完のまま終わってしまったはかなき夢
そんな民衆たちの描いた「未来」は
今と同じものなのか、それとは違う「未来」なのか
「未来へ」とある矢印の先にあるものは一体何だったのだろうか
もう一度考える必要があるだろう
橋本治の偉大さを語るのは、また次の機会に!