過去との対話を楽しめる…そんな人間でありたい

まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

014) ぼくは数学も苦手だ

数学こそ暗記科目である

というのが、ぼくの持論の一つである


問題を繰り返し解き、解法パターンを覚え、
それを実際の試験で瞬時に思い出せるか


言葉化されないと、ものを覚えることのできないぼくにとって
そして、何よりコツコツ努力することが大の苦手のぼくにとって
算数も、そして数学も最も苦手な科目である


それどころか
パズルだってわちゃわちゃになって、放り投げてしまうのだ


こんなぼくであるから、
数学の天才という言葉に弱いw


例えば、
抜群の才能を示したものの
貧困の上に、結核で夭折したアーベル


その後200年の現代数学の扉を開き、
決闘のため20歳で命を落としたガロア


彼らの業績はさっぱりわからないけどw
やはり、その悲劇性は心を揺さぶる


ちなみに
今回、アーベルやガロアについては、以下の本を参照した

 


さらに数学の天才、それだけでロマンを感じちゃうのに
それが、少女だとしたら……


そんな少女がかつていた
しかも、日本、江戸時代に

 

「算法少女」という和算書がある(という)
江戸中期、娘が父の協力を得て、書いた和算の問題集である

 

ja.wikipedia.org

 

www.wasan.jp


作者については、
父=壺中隠者=千葉桃三という医者
その娘=平章子
ということがわかっているが、詳細は不明なのだという


その江戸時代の和算書「算法少女」をもとにして
遠藤寛子が著したジュブナイル小説が同じ題名の「算法少女」

 


今回、こちらを読んだ


江戸は田沼時代
13歳の少女千葉あきは浅草寺に掲げられた算額に間違いを発見し、騒動になる
その騒動から算学家でもある久留米藩主有馬頼徸に娘の教育係として奉公するよう依頼を受ける
掲げた算額の間違いを発見された関流は、あきに対抗として同じ歳の少女との勝負をもちかける
一方、あきの父が往診していた木賃宿では九九もできない貧しい子供たちがたくさんいて……


そうそう、一応念のため……
そもそも和算とは、中国の数学の影響を受けて、発達した日本独自の数学であり
江戸前期、関孝和和算を大きく発展させ、関流を中心に各派が競い合った
また、和算の計算や回答を寺社に奉納する絵馬を算額という


ジュブナイル小説という点からみると、
武家社会と町人社会の二つから成り立っている都市江戸の雰囲気が良く出ていて、
物語の後半にはサスペンス要素も入り、和算だけの小説になっていないので
かなり読みやすい


さらには、
流派を競う和算家たちのに対するあきの疑問は
本多利明(数学者、経世家)に出会うことで
合理主義的な数学への意識へ接近することになる


九九ができない子供たちをなくしたいというあきの気持ち
これはこの後、江戸期を通じて増える「寺子屋」による教育の普及を裏付ける
実際、明治最初の女性小学校教師黒澤止幾は寺子屋の先生だという
(ちなみに寺子屋は上方の名称らしい)


また、この気持ちは、同時に作者の教育観の代弁であろう
この気持ちこそが作者にジュブナイル小説としての「算法少女」を書かせたのだ


やっぱり児童小説、ジュブナイル小説
作者の子どもに対する思想が見えてきていいと、ぼくは思う


その思想があるからこそ、
主人公のあきが明るく未来を見つめる魅力的な少女でいられるのだから

 

 

 


……
しかし、なんですね
やはり、不得意な分野だと、なかなか筆が進まないし
書いても書いても、「お勉強しました」という文章になっちゃう
困ったものだ


まあ、それでもボチボチと書いていきます