016) 最初は、こんな話を書くつもりじゃなかった
エドワード・S・モースは来日後、横浜から東京(新橋)への移動の際に
汽車の窓から大森付近の鉄道工事あとにたくさんの貝殻を発見した
(確かに鉄道のすぐわきを通る)
これは、何事も観察が大事というお話
電車の中で本ばかり読むぼくはきっと何も発見しえないだろう
シャーロック・ホームズも「ボヘミアの醜聞」の中で、ワトスン君に言う
「きみも、見てはいるのだが、観察をしないのだよ。見るのと観察するのとではすっかりちがう。」
(「シャーロック・ホームズの冒険」 (創元推理文庫) コナン・ドイル 阿部知二訳 p12)
人は見ているのに、観ていないことがあるし
また、見ていないものが、見えてしまうこともある
知覚と認知のずれというのは、ぼくらの生活の中でしばしば起こりうるものだ
この問題でいつも僕が思い出すのは、次の作品だ
「皇帝のかぎ煙草入れ【新訳版】」 (創元推理文庫) ジョン・ディクスン・カー
イヴ・ニールは向かいの家の青年トビー・ローズと婚約するが、
イヴの前夫ネッド・アトウッドはそれを聞きつけ、イヴの家へ夜中に侵入し復縁を迫る
その言い争いの最中、ネッドとイヴは向かいの家でトビーの父モーリス・ローズ卿が殺された姿と何者かがその部屋を出ていくところを目撃する
そして、状況証拠からイヴに嫌疑がかかり……
離婚しても同じ家に住み続けるなら、普通鍵を交換するだろ?
とか
いくら状況証拠とはいえ、あまりにも貧弱じゃねーか
とか、
ツッコミどころは満載ではあるw
推理小説のトリックなので、詳細は差し控えるが
この小説のトリックは、ぼくはありだと思う
叙述トリックのようでそうではないところを評価したい
…
……
なぜ、こんな話に……
実のところ、大森貝塚の話から、考古学の話に向かおうと思っていたのだ
エドワード・S・モースの話を始めたのは、日本の考古学の祖であるという事実ももちろんだが
たまたま、ぼくが大森貝塚(上記)の写真を持っていたからである
上記のモースが車窓から貝塚の発見した話はもちろん知っていたのだが、
そして、この話は認識論の話だと思ったところで、話がかなり脱線してしまった
ぼくらしいといえばぼくらしい
さらに、モースの業績を調べるために
「お雇い外国人--明治日本の脇役たち」 (講談社学術文庫) 梅渓 昇
これを一気に読んでしまって、さらに考古学から遠ざかってしまった
お雇い外国人
幕末、明治職にかけて、日本の近代国家建設のために、政府や府県にやとわれた外国人のこと
モース
フルベッキ
ロエスレル
シャンド
デニソン
などなど、
むろん、ある程度何をやったかを知っていたつもりだったけど、
ぼくが思っていた以上に
彼らの知識・経験・技術が日本の近代化に果たした役割は大きいのだ
万延元年遣米使節に同行した福沢諭吉の有名なエピソード
科学分野については書物で知識があったから驚かなかったが、
文化の違いについては衝撃を受けた
という話を考えてみれば、
技術科学の導入はもちろんのこと
政治・外交・金融……どの分野だって
外国人顧問がいなくてはほとんど何もできなかったはずなのだ
特に、
明治憲法制定に、ロエスレルが強くかかわっていたことは気づかずにいた
これは明治憲法制定過程をもう一度調べてみる必要があるね
認知の話や考古学の話はまたのちほど~