過去との対話を楽しめる…そんな人間でありたい

まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

020) 「武家の歴史」 (岩波新書 青版) 中村 吉治 を読む理由

 

久しぶりに仙台へ行ってきた

 

f:id:tankob_jisan:20211202233951j:plain

秋の仙台駅

 

なかなか、書き進められない、このブログ……


そんな状態ではあるが、
このブログを僕が書こうと思ったのは、
恩師の死を友人から伝え聞いたからだ

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp

 

その恩師のお宅へご挨拶に行かなくてはならない
今回の仙台行きは、そのためである

 

 


その道中に
武家の歴史 」(岩波新書 青版) 中村 吉治 1967年
を読む

 

 

中村吉治は、恩師の先生に当たる人であり、
日本における社会史、農村史の先駆者である


7年ぐらい前、恩師のお宅にお邪魔した時
これが、ぼくが恩師にお会いした最後なのだが、
そのときに、本書を買ったことを報告したことを覚えている


それからずっと、積読のまま、時が過ぎて……
ようやく、今回読むことができた


本書は、古代から近世、そして近代にいたる
武家(武士)の通史である


名や荘という村落共同体の族長として武家(武士)が
どのように発生、成長、変化していくのか
変化の先に、まったく違うものとしての近世の武家になり、
明治をむかえて、それが消滅する


有名な武将や合戦の逸話……
そういうものはほとんど出てこない


しかし、
その中でも平安後期から源平合戦は比較的に細かく説かれている


これは、筆者が
武家が村落共同体の族長であり、より上位の武家と結びついていくこと
つまり、在地の武家と棟梁との臣従関係・家人関係こそが武家世界の典型であり、
その姿を戦記物(それ以外に史料は少ないし)から描こうとしているからだろう


村落共同体こそ、武家の基盤である
そして村落共同体こそ、日本の歴史の基盤に他ならない


名高い武将がヒーローなのではなく
共同体(とその構成員)が変化(進歩)し、日本の歴史を進めてきた原動力である


これが社会史、農村史の泰斗はそれを強く言いたかったことに違いない


Wikipediaにも載っている中村吉治の有名な逸話


卒業論文に農民の歴史を書こうとしたら
指導教官に「百姓に歴史はあるのか?」といわれたと言っていた
と、恩師は何度か話してくれた

 

ja.wikipedia.org

 

当時、ぼくはその指導教官が「悪名高き」※平泉澄だったことをもちろん知る由もなかったのだが


※ある筋から見れば「悪名高き」だが、別の筋から見れば「高名な」になる
こういう筋の違いはあってしかるべきだろう(そういう筋があってこその学問ともいえる)


「私は○○村のあぜ道一本一本すべて知ってます」


中村吉治の弟子である恩師が語った、この言葉が
「百姓に歴史はあるのか?」という質問の答えに他ならない


恩師に教わった数多くの人々と違って
何の専門家にもなることもなかったぼくは
恩師の弟子といえるものではない


ぼくが恩師に教わったことはたった一つ
「学ぶこと」の楽しさだけだ


ぼくは勉強が嫌いだし、勉強ができない。
だけど、学ぶことは嫌いではない
これだけは自信をもって言うことはできる


だからこそ
ぼくは少しずつでもこのブログを書いていきたいと思う


それが恩師の教え子であることの証明なのだから

 

 

 

仙台はまさに紅葉の時期だった

 

f:id:tankob_jisan:20211202234636j:plain

荒町公園にて①

 

f:id:tankob_jisan:20211202234727j:plain

荒町公園にて②


黄色い公孫樹の葉を踏みしめながら
ぼくは恩師の教え子であることを誇りに思っていた