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まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

027) 国家、国民、国語の誕生

明治中期以降、初詣という行事が鉄道会社によって作られた
というのが、前回のお話

 

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川崎大師平間寺成田山新勝寺こそ 初詣のオリジン)

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp


初詣のための乗降客を誘致するために、鉄道会社は宣伝合戦をして
その結果、初詣の客はうなぎ登りに増えていく

 気軽に郊外を散策し、かつ名利に参拝できること
当時の人々に、これが訴求力を持っていたことはよくわかるが


それ以上に感じるのは、新聞が持つ宣伝力=影響力の大きさだ
(当たり前だが、ネット、テレビ、ラジオはまだない、大衆雑誌もまだ未発達)


鉄道会社が初詣を作り上げただけではなく
新聞のその一端を担っていたのではないか?
新聞の普及こそが初詣文化を生んだのではないか?


残念ながら
ぼくの電子本棚をのぞく限り、明治のメディアについて。直接語った本は見つからなかった

 

そこで、今回

日清戦争─『国民』の誕生」 (講談社現代新書) 佐谷 眞木人(2009年)

を読んでみた


その他、以下の本も参照した

「日清・日露戦争-シリーズ日本近現代史〈3〉」 (岩波新書) 原田 敬一(2007年)


日清戦争とはどんな戦争か
それを細かく説明するつもりはない
ただ、一般的な文脈でとらえると、日清戦争のイメージは薄いだろう


日露戦争の勝利の結果、日本は不平等条約を改正し、幕末開国以来の課題を解決し、植民地を持つ帝国へと転換することになる
それ以後、国家目標と国民目標が乖離し始め、大正デモクラシーの時代を迎えることになる……


つまり、日露戦争が歴史のターニングポイントであって、日清戦争は過程としてのみ扱われるわけである


このような歴史観に対して、本書「日清戦争─『国民』の誕生」は日清戦争こそターニングポイントであったと主張する


日清戦争が「国民」を生んだということになる。日清戦争を共通体験の核として、日本は近代的な国民国家へと脱皮したのである。(「日清戦争─『国民』の誕生」p7)


さまざまなメディアは、日清戦争という出来事を社会的な共通経験へと再編成し、結果として「日本人」という意識を広く社会に浸透させた。それは、日本が近代的な国民国家へと姿を変えていく契機となっている。日清戦争は、新しいメディアによって社会的に共有され、日本人の共通体験として記憶に刻まれた。(「日清戦争─『国民』の誕生」p12)


川上音二郎、「死んでもラッパを口から離しませんでした」、流行歌、戦争ごっこ、児童文学、義援金、大祝捷会、モニュメント……


新聞だけではなく、さまざまなメディアを等して、戦争は語られ、人々へと伝わっていく
国家を通じての共通体験を等しく持つ国民が生まれる


戦争はもはや、他人事ではなかった。戦争は社会全体で支えられており、その意味では誰もが「当事者」だった。国民によって支えられた戦争という意識が、このとき成立した。それは国民と運命をともにする国家の誕生でもある。(「日清戦争─『国民』の誕生」p173)


国民が生まれ、さらに「国語」も生れる


大槻文彦が、日本語の体系化をめざして、 一八八九年から九一年にかけて日本語辞書『言海』全四冊を出版した時、「国語」なる熟語は採用されず、「日本語」で説明されていた。ところが、 一八九七年に『広日本文典』全二冊を刊行した際には、世界各国の言語を「その国の国語」という、と「国語」用語と概念を示した。日清戦争のもたらした「国民」概念は、理念としての「国語」を生み出したのである。(「日清・日露戦争-シリーズ日本近現代史〈3〉」 p114)


国家を生み、国民を生み、国語を生んだ(この順番に生まれたのであって、逆ではない)日清戦争


国家、国民、国語の間の、まさにその名の通り、媒体になったのが、メディア、特に新聞である


戦争の開始とともに、新聞各紙は多くの従軍記者を送った
有名なところでは、正岡子規国木田独歩……
号外合戦を展開し、速報性を競う各紙


かくて、新聞の発行部数は急速に増大する


発行部数では『国民新聞』は一日7000部から20000部へ、『大阪朝日新聞』は76000部(1892年下半期)から117000部(1894年下半期)へ、『東京朝日新聞』も76000部(同期)へ、『萬朝報』は五万部へと増加した。(「日清・日露戦争-シリーズ日本近現代史〈3〉」 p161、一部漢数字をアラビア数字に改めた)


この時以来、21世紀ネット社会の到来によって急激に部数を減らすようになるまで、
否、部数を急速に減らしてもいまだに(ネットニュースの配信元の多くは新聞社だ)、
100年以上、新聞はメディアの中心に鎮座することになる


新聞によって、作り上げられた共通体験が、いつしか伝統文化へと認識されるようになっていく
その中身があいまいなままで、
否、あいまいだからこそ(カセット効果)、国民的行事として普及するのだ


“正月にどこかにお参りする”

初詣も日清戦争を契機にして生まれた、さまざまな「伝統文化」の一つなのだ