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029) アニメーションではなく、アニメが生まれた話

「先生、これじゃアニメーションになりません」
杉井はすがるような気持ちで手塚へいった。
「いえいえ、ギッちゃん」と、手塚はまたもや笑顔で応じてきた。
これはアニメーションではなく、〈テレビアニメ〉です。
そういったという。
『日本動画興亡史 小説手塚学校 1 〜テレビアニメ誕生〜 』 (皆河有伽 講談社 2009年 p236)

 


アニメーションではなくて、アニメが生まれた瞬間のお話
このテレビアニメの発明なしには、今の日本のサブカルチャーは語ることはできないだろう


その源流(の大きな部分)に手塚治虫がいることを知らない人はいまい


上記の「手塚」はもちろん手塚治虫であり、
もう一人の「杉井」はアニメ版『タッチ』を作った杉井ギサブロー
日本最初の本格的テレビアニメ、誰でも知っている『鉄腕アトム』製作の一シーンである


この日本のアニメーションの歴史、特に、戦後のテレビアニメが生まれる頃の話
これがインターネットに意外と転がっているのが面白い


オーラルヒストリーという言葉があるが、
まさに、関係者のさまざまな証言がネット上に残されているのだ


ちょうど2000年ぐらいからのネットの勃興の時期は、戦後のアニメーションを担った人の引退の時期に重なり
インタビューが多くなされ、それが記事として公開されたのではないだろうか
(逆にSNSが発達した今の方が、この手の情報は散逸して、残らない可能性が高いだろう)


こうした数多くの証言を丁寧にたどれば、かなりのことがわかると思う
だからぼくがあえて書く必要はないのかもしれない


でも、今回ぼくが書こうとおもったのは、
それは、昨年2021年、二人の偉大なアニメーターが亡くなったからだ
60年前、アニメーションからテレビアニメが生まれたとき、最前線にいた二人である


一人目は、山本暎一
上記、手塚治虫が作った虫プロに創成期からその崩壊まで、ほぼ一貫して在籍した唯一の人物である
鉄腕アトム』製作に参加し、初のカラー作品『ジャングル大帝』を作り、
虫プロ崩壊後は『宇宙戦艦ヤマト』の企画構成に携わることになる


大資本傘下の東映動画が年に一本長編アニメーションを作れるかどうかの時代


そのような時に、週に30分のテレビアニメーションを作ろうというのだから、正気沙汰ではない


今までのアニメーション技術はごみ箱に捨て去られるしかない
今までの動くアニメーションとは違い、
動かないかわりに、キャラクターとそのストーリーで視聴者を引きつけるテレビアニメが生まれるのである
(CGが普及して状況が変わってきたとしても、日本のアニメの根本は現在でもそのままである)


それでも、山本たちスタッフの全人格的な没入を強制され、日夜問わず、毎日徹夜で製作に没頭することになる
昨今のブラック企業どころの話ではない


しかも、手塚は膨大なマンガ連載を維持したうえで、アニメーションの製作を指揮するというのだ……
さらにテレビ局への製作費をとてつもなく安く請求し、ダンピングで市場を独占しようとした……
もっとも、当時から言われてる数字よりも、実際にははるかに高い製作費が支払われていたという(上記 p258-267)


まさに、てんやわんやの日々であった


山本暎一は、のちにその顛末を一部小説という形で描いている
虫プロ興亡記-安仁明太の青春』 (山本暎一 新潮社 1989年)

 

 

情熱と狂乱の日々……
そして、キャラクター商売(マーチャンダイジング)がこの狂乱に拍車をかけていく



……
こうした手塚治虫虫プロダクションのテレビアニメの嵐に対して
批判的であり続けたアニメーターがいた


東映動画系の人々、宮崎駿高畑勲、そしてその先輩である大塚康生などがその代表だろう


2021年に亡くなったもう一人の偉大な偉大なアニメーター、大塚康生
アニメーターという言葉で代表される人を一人選べ、といわれたら、ぼくは彼をあげるだろう


彼はその著書『作画汗まみれ 改訂最新版』 (大塚康生 文春ジブリ文庫 2013年)の中で当時の状況を述べている
(この本は、東映動画の創成期のころが詳しく描かれ、さらにアニメーション技法についても詳細される、素晴らしい本である)

 


「私たちは虫プロでもあくまで東映と同じ技術水準、つまり2コマ撮りのフルアニメーションを製作するのだろうとばかり予測していた」(p134)
放送された『鉄腕アトム』は、「極論すると『あれじや誰も見ない』と思うほどのぎこちない動かし方」(p140)
「『アニメーションは動かすものだ』『キャラクターは演技しなければならない』と信じていた私たちにとっては到底受け入れ難いもの」(p140)


しかし、実際に『鉄腕アトム』は大ヒットをしてしまう


「本来そうあるべき」であるアニメーションのかわりに、「手抜き技術」が「技術」となり、継承される
それがテレビアニメなのだ


大塚のこのグチはよくわかるし、アニメーション技術論ではまったくその通りだと、ぼくも思う


実際、テレビアニメが定着し、『宇宙戦艦ヤマト』以後のアニメ―ブームが起こった、ちょうどそのころに作られた二つの長編アニメ


手塚治虫の作った『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980年)
宮崎駿が作り、大塚康生が描いた『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)

 


アニメとしての動き=演技はもちろんのこと、映画としての演出レベルにおいても、やはり雲泥の差があるといわざるを得ない


例えば、『カリオストロ』の食堂でルパンと次元がパスタを取り合うシーンの動き、顔の表情の変化……
そして、それが映画本編のストーリー背景を説明シーンとして無駄なく用意されている
映画ってこういうものだよねええ、といいたくなるシーンだ


そして、その後の宮崎駿を活躍については、周知のとおりである


だから大塚康生にしろ、宮崎駿にしろ、アニメーション作家としての手塚治虫を否定したい気持ちはよくわかる
じっさい、その通りだろう


ぶっちゃけ、最初から最後まで、手塚治虫は素人だったということだ
(素人だからこそ、彼の実験的アニメは逆に素晴らしい)


アニメーション技術の基礎も、そして映画作りの基礎も学ぶことなく「自分」でやってしまう手塚だからこそ
私財をなげうって虫プロダクションを作り、そして、テレビアニメを作り上げてしまった


60年前の情熱と狂乱……
明治日本があたかも青春時代だったように、
戦後日本もやはり青春時代だったのだろう


そして、ぼくらはその恩恵のもとに21世紀を迎えている
ぼくはアニメーションも、そしてアニメも大好きだ、と大きな声で言える

 

補足①
大塚にしろ、宮崎にしろ、そして多くの人が、手塚のアニメ制作費のダンピングが、アニメ業界を重労働低賃金をもたらしたという
しかし、それは正しいのだろうか?
そもそも東映動画時代からアニメーション制作は重労働低賃金だった
例えば『安寿と厨子王丸』の際には、東映動画の動原画家の6人に1人が入院している(『手塚学校』p146)
それゆえ、当然といえば、当然だが、組合運動が盛んになり(まさに、大塚、宮崎、高畑がその中心)、
その結果、それを嫌がる人々が虫プロに移籍することになる
実際、大塚が「同期」といっているメンバーもその大半が東映動画をやめている(『作画汗まみれ』p72-73)
手塚と虫プロだけに責任を押し付けるのは、やはり問題があるといわざるを得ない


補足②
アニメーションの基礎が動きであり、それこそが演技である
しかし、あえて「動かさない」という表現方法を使用した作品もある
山本暎一の『哀しみのベラドンナ』(1973年)がそうだ
「『哀しみのベラドンナ』のアニメートの方針を、人間の外面の日常的なアクションは、、原則として動かさないで止めの画にし、人間の内面をあらわすものや、象徴的なものは、たんねんに動かす」
「アニメーションの動きが、日常的な身ぶりの説明に終始したのではつまらない。象徴性に富んでこそ、深みをもち、芸術にも、文化にも、なり得る」
と、山本暎一は説明する(『虫プロ興亡記』p299-300)
公開から半世紀を経るが、『哀しみのベラドンナ』は今なお、いや今こそ輝く作品である