過去との対話を楽しめる…そんな人間でありたい

まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

030) インターミッションとして……一つの英雄譚

気象庁のHPには広告がある
国家の公式サイトとしては異例なのではないか?

 

www.jma.go.jp


広告でサイト運営を賄うのが目的とのことらしい


しかし、国土交通省それ自体のサイト
あるいは国土交通省の外局、海上保安庁観光庁のサイト
これらに広告があるわけがなく


結局のところ、気象庁の予算の余裕が少ないということになるだろう


その辺のことを
NHKは次のように記事にしている

 

www3.nhk.or.jp


国民の生命と財産を守ることが、国家の最大の目的だとしたら、
その目的に直接かかわってくる気象庁の予算が少ないのは恥ずかしいことだ


しかも、
メディアでは毎日のように、「気候変動」「温暖化」ということがニュースになっているというのに……


いつの間にか、恥ずかしい国になっている
そして、それに慣れっこになっている自分がいる……それが一番恥ずかしい


ということを考えていたら、ある本のことを思い出した

 

芙蓉の人』 (文春文庫 新田 次郎 1975年)

 

 

野中到の富士気象観測所の創設と、越冬観測を、彼の妻・千代子の目を通して描いた小説である
題名の「芙蓉の人」は千代子のことであり、主人公は彼女である


より正確な天気予報のために、野中到は高層での気象観測の必要性を強く感じ、富士山頂に観測所を作ることを思い立つ
国に観測所を作るだけの予算がないというのであれば……
自費で観測所を建て、自分一人で観測をすることを決意するのだった
富士山冬期初登頂を成し遂げた野中到は私財を投じて山頂に観測用の小屋を建設、機材と食料を荷揚げし、
そして、冬、単独での越冬観測に挑む
一方、その様子を見ていた千代子は、夫を手助けするために、無断であとから登山し、合流する
夫婦二人の富士山頂真冬の気象観測が始まる……


野中到、千代子夫妻の英雄的な行為、
私財もそして健康までもなげうってまでも、気象観測をしようとする使命感
ぼくらはここに感動するわけである


野中到の、それ以上に千代子の強い意思に、もっとも感動したのは、作者・新田次郎である
彼は、あとがきでこう述べる


「この小説を書く前には偉大な日本女性の名を数名挙げよと云われても、おそらく私は野中千代子の名を挙げなかっただろう。それは私が野中千代子をよく知らなかったからである。しかし、今となれば、私は真先に野中千代子の名を挙げるだろう。」(『芙蓉の人』 p247)


野中夫妻が越冬観測を試みたのは1895年
日清戦争が「国民」を作ったという事実がここにも表れてくる

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp


国家と国民の両者の「ナショナル・ゴール」が一致していた明治中期
個人の使命は、そのまま国家目標へと一直線につながっていた時代


あまたの英雄のいた時代……


しかし、それから125年も過ぎて
いまだに気象庁の予算が潤沢ではないことを考えるとき
国家と国民の「ゴール」は大きく位置を変えてしまっていたことに、気づかされるのだ


英雄を称賛することにはやぶさかではないが
個人の英雄的な行為によってしか成り立たない国家を手放しで称賛することができるだろうか?