過去との対話を楽しめる…そんな人間でありたい

まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

032) 川島雄三の『雁の寺』を観る

またまた古い話で恐縮だが、
むつ・田名部を訪れたのは四半世紀ぐらい前の話だろうか

 

野辺地から大湊線
そして、下北駅で、当時はまだ走っていた大畑線に乗り換え、田名部へ至る
大畑線は2001年の廃止だから、出かけたのは、前世紀になる
田名部から恐山へと向かう旅の途中だった

 

その途中、田名部のあるお寺、に寄ったことを覚えている

 

www.aotabi.com

 

そこには、映画監督・川島雄三の墓があったからだ
(アナログ時代のこととて、写真はどこかにあるだろうが、見つけられない)

 

映画監督・川島雄三

 

ja.wikipedia.org


代表作は言わずと知れた『幕末太陽傳』(1957年)

「傳」は「伝」なので、『幕末太陽伝』でも全く問題なし

 

どうでもいいが、ある一部の範囲だけ旧漢字を使いたがる、この頃の風潮はいかがなものか
どうせなら、全部使えばいいのにね

 

この映画についても、そのうち語りたいと思うが、いつものように後回しにして……

 

筋萎縮性側索硬化症により45歳でこの世を去る

粗製乱造の感があるが、
シリアスも、コメディもどちらも撮れて、その根本には人間性へのシニカルな視点がある
(失われつつある)当時の社会・風俗への冷たくも、温かいまなざし(矛盾のようで矛盾ではないw)

 

彼の作品において、排泄にかかわるシーンが多いことは
彼のシニカルが、昨今流行りの「冷笑系」とは違い、人間の生をリアルにダイレクトにとらえようとする姿勢である

 

というわけで、
短め路線で川島雄三の作品を何本か紹介していきたいと思う

 

今回の作品は彼の晩年の作品

『雁の寺』(1962年)

 

 

水上勉の作品の映画化


原作を……というか、水上勉の作品をぼくはあまり読んでいない
読んだのは『飢餓海峡』ぐらいだが、この話もいずれまたしたいと思う

 

京都の禅宗の寺の和尚・北見慈海は、襖絵師の死によって、その愛人・里子を譲り受ける
さらに、寺の小僧・慈念に対して、「修行」と称して、あたかも奴隷かのようにあつかうのだった
慈海と暮らしていく中で、慈念の身の上を聴いた里子は彼への同情の念を強くしていく
ある雨の夜……出かけた慈海が寺に戻らない
さらに次の日にはある檀家の通夜を執り行わなければならなくなって……

 

愛人・里子役の若尾文子の肉感が光る映画だが
慈海が里子を愛人にしようと口説こうとする場面、
そこに、慈念にし尿の処理をさせるシーンを加える

 

この辺が川島雄三らしさといえる
人間関係だけでなく、人間の持つ根源的な欲が露わにされるのだ

 

そして、映画の最後、唐突に画面はカラーになり、
現代の京都、その禅宗の寺の襖絵を鑑賞する外国人観光客たち
エンドマーク

 

この唐突感のある終わり方も川島雄三だなあ
第三の壁を壊すことこそ、川島雄三が『幕末太陽傳』がやりたかったことなのだから

 

次回は『しとやかな獣』の予定