過去との対話を楽しめる…そんな人間でありたい

まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

036)文三君と五代君……二葉亭四迷『浮雲』と高橋留美子『めぞん一刻』

久しぶりに 『「坊っちゃん」の時代』を読んだ
……というブログ記事を、これまた久しぶりに描いたのが、前回のこと

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp

 


ブログをまた書かなくては……
と、思ったのが、先月の半ばだから
一本の記事に半月もかかってしまった
困ったものである


あるものを書こうとすると、
その周辺を調べ物をしざるを得ず、
調べ物がどんどん増えて……


「お勉強しました~」という文章仕掛けないのが悲しい……


今回もいろいろと勉強をしたわけだが、
そもそも考えてみると、
二葉亭四迷はもちろんのこと、
漱石も、鴎外もあまり読んだことがない自分に気づく……


せっかくだから、たくさんは読めないけれど、一つ二つは読んでみよう……
まずはスタートの二葉亭四迷からだろう……

 

ぼくのリアル趣味で出かける場所のすぐ横にあった

 

そもそも、二葉亭四迷を読もうと思うと、三遊亭円朝はどうする?
という疑問がわいてくる

しかし、落語をはじめとした演芸ジャンルはまったくの苦手だし……
青空文庫から何本か落として、こっそり読書用のタブレットに入れておくだけにして
見なかったことにしようかな……


……
というわけで
浮雲』……読んでみた!

 

www.aozora.gr.jp

 

千早振(ちはやふ)る神無月(かみなづき)ももはや跡二日(ふつか)の余波(なごり)となッた二十八日の午後三時頃に、
神田見附(かんだみつけ)の内より、 
塗渡(とわた)る蟻(あり)、散る蜘蛛(くも)の子とうようよぞよぞよ沸出(わきい)でて来るのは、
孰(いず)れも顋(おとがい)を気にし給(たま)う方々。 
(『浮雲二葉亭四迷 青空文庫 ただし、改行は引用者) 

 

これが、出だしの文
意外や意外、すらすらと読める
(フリガナの部分を()書きにしたのでその分読みにくいかも)


青空文庫の所蔵されている版が新字新仮名であることを考量しても、パラパラと読み進めることができる
とくに第一篇は心理描写よりも、噺風の、これが上記円朝の影響といわれるゆえんだろうが、リズムの良さが感じられる
言文一致の、もちろん、おかげなのだが、使われているボキャブラリーが、現在ものとあまり変わってないことも大きい


ぼくはまず、「読めた」そのこと自体に驚き、感動した
だって、『浮雲』第一篇は1887年(明治20年)の作品……130年以上前の作品なのだから……


いっぽう、お話の筋というほどのものはない


主人公の内海文三が免職されたところから、下宿先の叔母との関係がぎくしゃくし、
従姉妹で許嫁同然だったお勢は、世渡り上手で、おしゃべり上手の、友人本田昇に心を寄せていく
その姿を見て、文三は煩悶ずる


まあ、それだけの話である


それだけの話であるのだが、
免職された文三君がその事実を下宿の主人である叔母に伝えようとするシーン


いろいろ世話してもらっているから、当然伝えなくちゃいけないし……
かといって、従姉妹のお勢がその場でいたら極まりが悪いし……


と、延々と悩む文三君の姿を読んで、ぼくは思った


「五代君、そっくりじゃん」


ぼくは『めぞん一刻』(高橋留美子 1980-87年) の五代君を思い出したのだ

 


そう、五代君が大学を卒業し、バイトしていた保育園を首になってしまったときのことを……
お弁当を作ってくれる管理人さんにその事実をなかなか言い出せない……
「言わなくちゃ」「言わなくちゃ」……「でも、言い出せない」……


こうした不器用な青年像としての五代君は、文三君によく似ている


優柔不断で、内気な五代君は、運のめぐりあわせが悪くいつも苦労するし、
文三君は融通が利かず、上司におべっかを使えないわりに、プライドの高さが邪魔をする


ということは、両者ともにライバルがいるわけで、


美男子、金持ちの御曹司、スポーツマンで、口も上手な三鷹さんと
世渡り上手、おべっか上手、口説き上手の本田君


これまたパラレルな存在として、登場しなくてはならない


文三君が、本田君に、否、明治という現代社会に対して「負ける」と同じように、
五代君もバブル経済へと進む現代社会にもてあそばされ、苦労する


1887年と1987年、百年という時を経ても、
青年は同じ悩みを持ち続けていたのだ


こうした恋に、進路に、人生に、悩む青年像
人の生き方とは何か?


その答えを求めた『浮雲』が作り上げたもの
それは、「青春」そのものに他ならない