過去との対話を楽しめる…そんな人間でありたい

まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

034) 本線に戻って……川島雄三の『しとやかな獣』

途中でロシアさんが邪魔をしたので
前回ではなく、前々回からの続きになる


川島雄三の晩年の映画2本目

『しとやかな獣』(1962年)

 


ある団地の一室、中年夫婦が客を迎えるために部屋を片付けているシーンから話は始まる
片付けているといっても、わざと部屋のみすぼらしくしているのだ
なぜか?
中年夫婦の息子が会社の金を横領し、雲隠れしたため、社長一行が文句を言いに来るのだ


中年夫婦は恐縮して、平身低頭を繰り返すが、
結局のところ、知らぬ存ぜぬの態度を覆すことがない
話は平行線に終わり、しびれを切らした社長たちが帰ると、息子が戻ってくる


「おまえ、うちに入れたの 50万ばかりだけど、あとはどうしたんだよ」
父が息子に尋ねる


両親もグルというか、息子の横領した金額前提の生活である


さらに、流行作家の妾をやっている娘が、「作家に愛想つかされた」と戻ってくる
娘へのお手当以上に、父が作家から金を大金を借りたことが原因で……


父が流行作家に娘を紹介し、二号にするように勧め、
作家が娘のために借りた団地に一家で寄生する


息子の横領、二号の娘
そのあがりで行われる「文化的生活」


海軍中佐だった父とその家族は、戦後苦しい生活を強いられた
その反動から、この金に汚いというか、他人の金をあてにぜいたくな生活をしているのだ


その後、
娘をかこっている流行作家
息子の会社の会計係、若尾文子が演じる会計係こそ、この騒動の中心人物なのだが
会社の社長
バーのマダム
などなど、立ち代わり入れ替わりやってくる人々


これら立ち代わり、入れ替わりやってくる人々に対して、
この中年夫婦の飄々としたといっていいのか、ぬけぬけと悪びれない態度に、笑みがこぼれてしまう
ああ、これを「しとやかな」態度といえばいいのか


父親役は伊藤雄之助
ぼくはさすがにほとんど見たことがない役者だけれど、最晩年の『太陽を盗んだ男』の老人テロリスト役が印象深い

 

ja.wikipedia.org

 

母親役は山岡久乃
日本のお母さん! こんな役もやるんですねw

 

ja.wikipedia.org

 

ほかの川島雄三の映画と違って、街の風景、風俗を描くことをしない
この映画はほとんどがこの団地の一室で話が進んでいくのだから
(東京の晴海団地が舞台だそうだが、外からの風景はラストシーンのみ)


そのかわりに描いたものは、高度経済成長という風景である


団地という生活様式

水洗トイレ、シャワー、冷蔵庫、テレビ、(画面では出てこない)クーラーと自動車


1955年経済白書が「いまや戦後ではない」宣言を行い
1958年のミッチーブーム(現在の上皇上皇后の結婚)がおこり
三種の神器」、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が普及しはじめ
まさにこの映画の公開の年1962年以降日本はオリンピック景気に沸き
3Cといわれる新三種の神器、カラーテレビ、クーラー、自動車がもてはやされることになる


上のさまざまな小道具はまさに高度経済成長のこうしたシンボルたちばかりだ


これらを他人の金で楽しむ生活
そして、それが当然であるかのような意識
それは貧困への恐怖で正当化される


「おまえたちはまたあの時のような生活をしたいのか!……」
「……貧乏が骨の髄までしみこみ……貧乏で体中が汚れてしまった」
父親は叫び、家族は全員ただ黙るだけだ


貧困への恐怖と豊かさの幻影
高度経済成長を支えたものの正体


欲望に満ち溢れた登場人物たち
彼らが「昭和レトロ」に登場することは決してないだろう
それは我々が見たくない「過去」なのだから


そうした「醜悪」をユーモアで包む力量


脚本・新藤兼人
監督・川島雄三

 

さすがふたりの鬼才がタッグをしただけある映画である

033) 今回のロシアによるウクライナ侵攻について……

川島雄三の映画の話をしようと思っていたら、
ロシアがウクライナに侵攻してしまった


このブログで時事ネタはいかがなものかと思っていた
しかし、この状況下で全く無視するのも、それはそれでいかがなものかという気がする


なので、川島雄三は、次に回して、ちょっとだけ考えてみる


あたりまえだが、ぼくは単なる素人なので、詳しいことを語る気もないし
どこかの責任を追及したり、また煽ったりしたりするつもりもない


今回のウクライナ問題が話題になり始めたときに
オリンピックが終わったら、ロシアは侵攻するだろうと思っていた
というより、プーチン大統領は引くことができないだろう、と


第一に
ウクライナが敵性同盟のNATOに加わることをロシアは座視できてない
喉元にナイフを突き刺される前に、その危険を排除しざるを得ない
それが、ロシアの言い分であろう(それが正しい、正しくないの話ではない)


第二に
そもそも今回のウクライナ問題が起こった始まりは
2014年ソチオリンピックの時に親ロシア政権が倒されたことに始まる
オリンピック中でロシアが動けないことを見越して……と勘繰りたくなるタイミングで
そして、今年北京オリンピック中に事を動かせば、中国のメンツをつぶすことになる
自分はメンツをつぶされたプーチン大統領は、中国のメンツを大事にするだろう


そもそも東中欧諸国がそれぞれが多く中世に起源をもつものの
実際には第一次世界大戦後に、西欧によるソ連に対する緩衝国として建国された
という、悲しい現実がある


そして、バルカン半島の話の時に軽く触れたが、
それぞれ民族で分断され、モザイクのような小国が乱立してしまった
(それぞれが自分たちの歴史上一番広い領土の時を理想にするから、さらにややこしい)

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp

 


その結果、
ロシアも、そして東中欧諸国も、お互いに恐怖心を持つことになる


つまり、
ロシアは、西欧からの侵略の歴史(ナポレオン戦争、対ソ干渉戦争、ナチスドイツ)におびえ
中欧は、ぎゃくにロシアの支配の歴史(ロシア帝国ソビエト連邦)におびえる


この恐怖の連鎖が排外主義と安全保障への過度の傾斜を呼んでしまう


英米はこの恐怖心についての認識が少し甘かったのじゃないかなあ
と、素人考えですが、ぼくはそう思う


以下、古い本が多いけど、
この周辺についての、ぼくの電子本箱から、いくつか紹介を


『ロシアとソ連邦』 (外川継男 講談社学術文庫 1991年)

 

 

キエフ・ルーシ(キエフ・ロシア、あるいはキエフ国家※)から
ちょうど冷戦が崩壊するぐらいまでのロシアの通史であ、
今のロシア連邦についての記述はない
が、啓蒙的なロシアの通史としては出来がいいと思う


※ロシアの、ウクライナの、そしてベラルーシのオリジンであるこの国家についての名称を確定できないところも、今回のウクライナ問題の根っこにある


『物語 ウクライナの歴史-ヨーロッパ最後の大国』 (黒川祐次 中公新書  2002年)

 

 

ウクライナの通史になると、ロシアよりももっと少ない
その意味では今でも貴重な本、増補版が出てくれると嬉しいな
キエフ・ルーシから独立までの通史になる
作者が歴史学者ではなく、外交官であることも、この国の歴史が我々にとって空白に近いことを教えてくれる

 

ソ連史』(松戸清裕 ちくま新書 2011年)

 

 

ソビエト連邦史の啓蒙書
ソ連が崩壊して、20年ぐらいたたないと、一般的な通史をなかなか描きにくい
そこが歴史学という学問らしさである


ロシア革命--破局の8か月』 (池田嘉郎 岩波新書 2017年)

 

 

1917年ロシア革命で何が起こったのか
ぼくは1904~24年までのロシア革命全体について整理ができていない
第一次世界大戦とロシア、そして革命に対する干渉戦争
これらを含めた全体像がわからないと、ソ連もわからないのじゃないかなあ


『ロシア精神の源-よみがえる「聖なるロシア」 』(高橋保行 中公新書 1989年)

 

 

ギリシア正教からロシア精神を考える本
ロシア文明が西欧文明と違うものであるとしたら、やはりギリシア正教についてもっともっと知るべきだろう
千年以上にわたるロシア文明史に最も影響を与えているのがギリシア正教なのだから

 

……
まあ、月並みだが、
市井の人々の被害が少ないことを祈ります
どんな時も一般市民が犠牲になるものだから

 

032) 川島雄三の『雁の寺』を観る

またまた古い話で恐縮だが、
むつ・田名部を訪れたのは四半世紀ぐらい前の話だろうか

 

野辺地から大湊線
そして、下北駅で、当時はまだ走っていた大畑線に乗り換え、田名部へ至る
大畑線は2001年の廃止だから、出かけたのは、前世紀になる
田名部から恐山へと向かう旅の途中だった

 

その途中、田名部のあるお寺、に寄ったことを覚えている

 

www.aotabi.com

 

そこには、映画監督・川島雄三の墓があったからだ
(アナログ時代のこととて、写真はどこかにあるだろうが、見つけられない)

 

映画監督・川島雄三

 

ja.wikipedia.org


代表作は言わずと知れた『幕末太陽傳』(1957年)

「傳」は「伝」なので、『幕末太陽伝』でも全く問題なし

 

どうでもいいが、ある一部の範囲だけ旧漢字を使いたがる、この頃の風潮はいかがなものか
どうせなら、全部使えばいいのにね

 

この映画についても、そのうち語りたいと思うが、いつものように後回しにして……

 

筋萎縮性側索硬化症により45歳でこの世を去る

粗製乱造の感があるが、
シリアスも、コメディもどちらも撮れて、その根本には人間性へのシニカルな視点がある
(失われつつある)当時の社会・風俗への冷たくも、温かいまなざし(矛盾のようで矛盾ではないw)

 

彼の作品において、排泄にかかわるシーンが多いことは
彼のシニカルが、昨今流行りの「冷笑系」とは違い、人間の生をリアルにダイレクトにとらえようとする姿勢である

 

というわけで、
短め路線で川島雄三の作品を何本か紹介していきたいと思う

 

今回の作品は彼の晩年の作品

『雁の寺』(1962年)

 

 

水上勉の作品の映画化


原作を……というか、水上勉の作品をぼくはあまり読んでいない
読んだのは『飢餓海峡』ぐらいだが、この話もいずれまたしたいと思う

 

京都の禅宗の寺の和尚・北見慈海は、襖絵師の死によって、その愛人・里子を譲り受ける
さらに、寺の小僧・慈念に対して、「修行」と称して、あたかも奴隷かのようにあつかうのだった
慈海と暮らしていく中で、慈念の身の上を聴いた里子は彼への同情の念を強くしていく
ある雨の夜……出かけた慈海が寺に戻らない
さらに次の日にはある檀家の通夜を執り行わなければならなくなって……

 

愛人・里子役の若尾文子の肉感が光る映画だが
慈海が里子を愛人にしようと口説こうとする場面、
そこに、慈念にし尿の処理をさせるシーンを加える

 

この辺が川島雄三らしさといえる
人間関係だけでなく、人間の持つ根源的な欲が露わにされるのだ

 

そして、映画の最後、唐突に画面はカラーになり、
現代の京都、その禅宗の寺の襖絵を鑑賞する外国人観光客たち
エンドマーク

 

この唐突感のある終わり方も川島雄三だなあ
第三の壁を壊すことこそ、川島雄三が『幕末太陽傳』がやりたかったことなのだから

 

次回は『しとやかな獣』の予定

 

 

 

 

031) 古代ローマの本について、ちらほらと

前回のブログを書いた後、ふと、古代ローマの本を読みたくなった

 

その理由はあとで述べるつもりだが
そのために、書くべき予定で準備していたものが、後回しになる
これがぼくの悪いところで、あっちへふらふら、こっちへふらふらとしてしまうのだ


なんとか、今週来週とブログを多めに書きたいと思うのだが、果たしてどうなるだろうか


んで、今回の本題は古代ローマ

 

昨今、古代ローマも人気のカテゴリーらしく、関連する本も多く出版されているみたいだ
前世紀とは 隔世の感あり ということだろうか


ぼくの電子本箱にも古代ローマの本はかなり多い方だと思うが

このジャンルはやはりギボンの『ローマ帝国衰亡史』をあげるべきだろう

 

ぼくは、岩波文庫版も、ちくま文庫版も持っているのだが、まだちゃんと読んでいないw
死ぬまでに、読むべき本の一等上にランクインしているのだが……

 

 

同じ本で、二つの版を持っているといえば、
シェンキェヴィチの『クォ ヴァディス』(河野与一・訳)『クオ・ワディス』(木村彰一・訳)、ともに岩波文庫

 


昔々、若いころ、旧漢字の河野版を一生懸命読んだ覚えがある
それが何十年かして、木村版を読んだら、それはそれは読みやすかった(当たり前か)


ローマ軍人ウィキニスとキリスト教徒の少女リギアの恋愛を軸に、
狂言的な役回りのペトロニウスが皇帝ネロの時代をぼくらに伝えてくれる
クライマックスは、もちろん、ローマ大火とキリスト教徒の迫害


大河小説ってこういうものですよね~と、楽しく読める


詳しくは、別の小説と合わせて、お話したいので、別の機会に……


さて、今回、まず読んだのは
『ローマはなぜ滅んだか』 (弓削 達  講談社現代新書 1989年)
1989年! 30年以上振りに読んだことになる 

 


この、とてつもなく、魅力的な題名を持つ本書は
ローマ帝国の支配の実情をまず述べる
 ・道路網 (これはペルシアの王の道の模倣だし、そもそもアッシリアの駅伝制度だろう)
 ・経済構造とその実体、その経済的基盤(古代に資本主義はあったのか?)
 ・爛熟したローマ社会・生活風景(女性解放、性の解放??)

 

そして、この後、「なぜ滅んだのか?」という考察に入るわけだが、
 ・ローマ帝国内の「中央」と「周辺」
 ・「中央」としてのローマ帝国と「周辺」としての帝国外部
 ・ローマ帝国末期ローマ人のゲルマン人


作者は、最先進国としてバブルに沸いた当時の日本社会を念頭に、「ローマの滅亡」の原因をこう述べる


「中央」と「周辺」の交代をローマ人たちが認識できなかったことが、ローマ文明の最終的な崩壊へつながった、と。


「周辺」から「中央」への変化はわかりやすいが、
その逆を自分たちが認識するのは、すごく難しいということだろう


失われた30年が続き、「衰退国家」日本というワードが、いまや毎日のように語られるようになっているが、
はたして、「周辺化」という事実をぼくらは受けれいることができるのだろうか?


……
いつものことだが、話がそれてしまった
話をローマの本に戻そう


前回、「英雄譚」について書いていた時に、
『ローマの歴史』(中公文庫 I.モンタネッリ 1979年)を思い出した

 

 

このモンタネッリの『ローマの歴史』以上に、「おもしろい」歴史物語はないだろう
昨今、ローマ史関係の本は数多くあると思うが、「おもしろさ」ではこの本に勝る本はないんじゃないのかなあ


神話時代のローマ建国から、東西ローマの分裂まで、
政治史だけではなく、文化や社会まで、
後期帝政に関しては、ちょっと駆け足だけれど
そもそも、この時代の話は複雑怪奇でわかりにくいので仕方がないw


丁寧でいて、かつ簡潔、さらには非常にウィットにとむ文章
つぎからつぎへとページをめくってしまう快感
こんな文章をぼくも一度でもいいから書いてみたいものだ


もしも、ローマ史を知ってみたいな という人がいれば、
ぼくが一番にお勧めする本である


そして、この本の始まりのあたりにこんな文章がある


「負けいくさに武勇伝はつきものである。負けた時には『栄光のエピソード』を発明して、同時代人と後世の目をごまかす必要がある。勝ちいくさにはその必要が
ない。カエサルの回想録には武勇伝は一つもない。」(『ローマの歴史』 p53)


英雄を称賛することにはやぶさかではないが
個人の英雄的な行為によってしか成り立たない国家を手放しで称賛することができるだろうか?


と、前回のブログで書いたときに、上の文章を思い出したのだ
もう何十年も前、最初にこの本を読んだとき、一番最初に心に残った部分だ


「まったくその通り」
と、ぼくが当時も、そして今も同じ感想なのは、
ぼくが進歩していないからなのか、それとも……

030) インターミッションとして……一つの英雄譚

気象庁のHPには広告がある
国家の公式サイトとしては異例なのではないか?

 

www.jma.go.jp


広告でサイト運営を賄うのが目的とのことらしい


しかし、国土交通省それ自体のサイト
あるいは国土交通省の外局、海上保安庁観光庁のサイト
これらに広告があるわけがなく


結局のところ、気象庁の予算の余裕が少ないということになるだろう


その辺のことを
NHKは次のように記事にしている

 

www3.nhk.or.jp


国民の生命と財産を守ることが、国家の最大の目的だとしたら、
その目的に直接かかわってくる気象庁の予算が少ないのは恥ずかしいことだ


しかも、
メディアでは毎日のように、「気候変動」「温暖化」ということがニュースになっているというのに……


いつの間にか、恥ずかしい国になっている
そして、それに慣れっこになっている自分がいる……それが一番恥ずかしい


ということを考えていたら、ある本のことを思い出した

 

芙蓉の人』 (文春文庫 新田 次郎 1975年)

 

 

野中到の富士気象観測所の創設と、越冬観測を、彼の妻・千代子の目を通して描いた小説である
題名の「芙蓉の人」は千代子のことであり、主人公は彼女である


より正確な天気予報のために、野中到は高層での気象観測の必要性を強く感じ、富士山頂に観測所を作ることを思い立つ
国に観測所を作るだけの予算がないというのであれば……
自費で観測所を建て、自分一人で観測をすることを決意するのだった
富士山冬期初登頂を成し遂げた野中到は私財を投じて山頂に観測用の小屋を建設、機材と食料を荷揚げし、
そして、冬、単独での越冬観測に挑む
一方、その様子を見ていた千代子は、夫を手助けするために、無断であとから登山し、合流する
夫婦二人の富士山頂真冬の気象観測が始まる……


野中到、千代子夫妻の英雄的な行為、
私財もそして健康までもなげうってまでも、気象観測をしようとする使命感
ぼくらはここに感動するわけである


野中到の、それ以上に千代子の強い意思に、もっとも感動したのは、作者・新田次郎である
彼は、あとがきでこう述べる


「この小説を書く前には偉大な日本女性の名を数名挙げよと云われても、おそらく私は野中千代子の名を挙げなかっただろう。それは私が野中千代子をよく知らなかったからである。しかし、今となれば、私は真先に野中千代子の名を挙げるだろう。」(『芙蓉の人』 p247)


野中夫妻が越冬観測を試みたのは1895年
日清戦争が「国民」を作ったという事実がここにも表れてくる

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp


国家と国民の両者の「ナショナル・ゴール」が一致していた明治中期
個人の使命は、そのまま国家目標へと一直線につながっていた時代


あまたの英雄のいた時代……


しかし、それから125年も過ぎて
いまだに気象庁の予算が潤沢ではないことを考えるとき
国家と国民の「ゴール」は大きく位置を変えてしまっていたことに、気づかされるのだ


英雄を称賛することにはやぶさかではないが
個人の英雄的な行為によってしか成り立たない国家を手放しで称賛することができるだろうか?

 

 

029) アニメーションではなく、アニメが生まれた話

「先生、これじゃアニメーションになりません」
杉井はすがるような気持ちで手塚へいった。
「いえいえ、ギッちゃん」と、手塚はまたもや笑顔で応じてきた。
これはアニメーションではなく、〈テレビアニメ〉です。
そういったという。
『日本動画興亡史 小説手塚学校 1 〜テレビアニメ誕生〜 』 (皆河有伽 講談社 2009年 p236)

 


アニメーションではなくて、アニメが生まれた瞬間のお話
このテレビアニメの発明なしには、今の日本のサブカルチャーは語ることはできないだろう


その源流(の大きな部分)に手塚治虫がいることを知らない人はいまい


上記の「手塚」はもちろん手塚治虫であり、
もう一人の「杉井」はアニメ版『タッチ』を作った杉井ギサブロー
日本最初の本格的テレビアニメ、誰でも知っている『鉄腕アトム』製作の一シーンである


この日本のアニメーションの歴史、特に、戦後のテレビアニメが生まれる頃の話
これがインターネットに意外と転がっているのが面白い


オーラルヒストリーという言葉があるが、
まさに、関係者のさまざまな証言がネット上に残されているのだ


ちょうど2000年ぐらいからのネットの勃興の時期は、戦後のアニメーションを担った人の引退の時期に重なり
インタビューが多くなされ、それが記事として公開されたのではないだろうか
(逆にSNSが発達した今の方が、この手の情報は散逸して、残らない可能性が高いだろう)


こうした数多くの証言を丁寧にたどれば、かなりのことがわかると思う
だからぼくがあえて書く必要はないのかもしれない


でも、今回ぼくが書こうとおもったのは、
それは、昨年2021年、二人の偉大なアニメーターが亡くなったからだ
60年前、アニメーションからテレビアニメが生まれたとき、最前線にいた二人である


一人目は、山本暎一
上記、手塚治虫が作った虫プロに創成期からその崩壊まで、ほぼ一貫して在籍した唯一の人物である
鉄腕アトム』製作に参加し、初のカラー作品『ジャングル大帝』を作り、
虫プロ崩壊後は『宇宙戦艦ヤマト』の企画構成に携わることになる


大資本傘下の東映動画が年に一本長編アニメーションを作れるかどうかの時代


そのような時に、週に30分のテレビアニメーションを作ろうというのだから、正気沙汰ではない


今までのアニメーション技術はごみ箱に捨て去られるしかない
今までの動くアニメーションとは違い、
動かないかわりに、キャラクターとそのストーリーで視聴者を引きつけるテレビアニメが生まれるのである
(CGが普及して状況が変わってきたとしても、日本のアニメの根本は現在でもそのままである)


それでも、山本たちスタッフの全人格的な没入を強制され、日夜問わず、毎日徹夜で製作に没頭することになる
昨今のブラック企業どころの話ではない


しかも、手塚は膨大なマンガ連載を維持したうえで、アニメーションの製作を指揮するというのだ……
さらにテレビ局への製作費をとてつもなく安く請求し、ダンピングで市場を独占しようとした……
もっとも、当時から言われてる数字よりも、実際にははるかに高い製作費が支払われていたという(上記 p258-267)


まさに、てんやわんやの日々であった


山本暎一は、のちにその顛末を一部小説という形で描いている
虫プロ興亡記-安仁明太の青春』 (山本暎一 新潮社 1989年)

 

 

情熱と狂乱の日々……
そして、キャラクター商売(マーチャンダイジング)がこの狂乱に拍車をかけていく



……
こうした手塚治虫虫プロダクションのテレビアニメの嵐に対して
批判的であり続けたアニメーターがいた


東映動画系の人々、宮崎駿高畑勲、そしてその先輩である大塚康生などがその代表だろう


2021年に亡くなったもう一人の偉大な偉大なアニメーター、大塚康生
アニメーターという言葉で代表される人を一人選べ、といわれたら、ぼくは彼をあげるだろう


彼はその著書『作画汗まみれ 改訂最新版』 (大塚康生 文春ジブリ文庫 2013年)の中で当時の状況を述べている
(この本は、東映動画の創成期のころが詳しく描かれ、さらにアニメーション技法についても詳細される、素晴らしい本である)

 


「私たちは虫プロでもあくまで東映と同じ技術水準、つまり2コマ撮りのフルアニメーションを製作するのだろうとばかり予測していた」(p134)
放送された『鉄腕アトム』は、「極論すると『あれじや誰も見ない』と思うほどのぎこちない動かし方」(p140)
「『アニメーションは動かすものだ』『キャラクターは演技しなければならない』と信じていた私たちにとっては到底受け入れ難いもの」(p140)


しかし、実際に『鉄腕アトム』は大ヒットをしてしまう


「本来そうあるべき」であるアニメーションのかわりに、「手抜き技術」が「技術」となり、継承される
それがテレビアニメなのだ


大塚のこのグチはよくわかるし、アニメーション技術論ではまったくその通りだと、ぼくも思う


実際、テレビアニメが定着し、『宇宙戦艦ヤマト』以後のアニメ―ブームが起こった、ちょうどそのころに作られた二つの長編アニメ


手塚治虫の作った『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980年)
宮崎駿が作り、大塚康生が描いた『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)

 


アニメとしての動き=演技はもちろんのこと、映画としての演出レベルにおいても、やはり雲泥の差があるといわざるを得ない


例えば、『カリオストロ』の食堂でルパンと次元がパスタを取り合うシーンの動き、顔の表情の変化……
そして、それが映画本編のストーリー背景を説明シーンとして無駄なく用意されている
映画ってこういうものだよねええ、といいたくなるシーンだ


そして、その後の宮崎駿を活躍については、周知のとおりである


だから大塚康生にしろ、宮崎駿にしろ、アニメーション作家としての手塚治虫を否定したい気持ちはよくわかる
じっさい、その通りだろう


ぶっちゃけ、最初から最後まで、手塚治虫は素人だったということだ
(素人だからこそ、彼の実験的アニメは逆に素晴らしい)


アニメーション技術の基礎も、そして映画作りの基礎も学ぶことなく「自分」でやってしまう手塚だからこそ
私財をなげうって虫プロダクションを作り、そして、テレビアニメを作り上げてしまった


60年前の情熱と狂乱……
明治日本があたかも青春時代だったように、
戦後日本もやはり青春時代だったのだろう


そして、ぼくらはその恩恵のもとに21世紀を迎えている
ぼくはアニメーションも、そしてアニメも大好きだ、と大きな声で言える

 

補足①
大塚にしろ、宮崎にしろ、そして多くの人が、手塚のアニメ制作費のダンピングが、アニメ業界を重労働低賃金をもたらしたという
しかし、それは正しいのだろうか?
そもそも東映動画時代からアニメーション制作は重労働低賃金だった
例えば『安寿と厨子王丸』の際には、東映動画の動原画家の6人に1人が入院している(『手塚学校』p146)
それゆえ、当然といえば、当然だが、組合運動が盛んになり(まさに、大塚、宮崎、高畑がその中心)、
その結果、それを嫌がる人々が虫プロに移籍することになる
実際、大塚が「同期」といっているメンバーもその大半が東映動画をやめている(『作画汗まみれ』p72-73)
手塚と虫プロだけに責任を押し付けるのは、やはり問題があるといわざるを得ない


補足②
アニメーションの基礎が動きであり、それこそが演技である
しかし、あえて「動かさない」という表現方法を使用した作品もある
山本暎一の『哀しみのベラドンナ』(1973年)がそうだ
「『哀しみのベラドンナ』のアニメートの方針を、人間の外面の日常的なアクションは、、原則として動かさないで止めの画にし、人間の内面をあらわすものや、象徴的なものは、たんねんに動かす」
「アニメーションの動きが、日常的な身ぶりの説明に終始したのではつまらない。象徴性に富んでこそ、深みをもち、芸術にも、文化にも、なり得る」
と、山本暎一は説明する(『虫プロ興亡記』p299-300)
公開から半世紀を経るが、『哀しみのベラドンナ』は今なお、いや今こそ輝く作品である

 

 

 

028) アニメではなく、アニメーションのお話

「よく かけとる だが…… きみは マンガ映画は 作れんな」
タンバササヤマからきた宮本武蔵少年は、40年もマンガ映画に身をささげている断末磨老人に、自分の絵を否定される

 

「先生 待ってください」と、武蔵少年は懇願する。
「どうして ぼく作れないんです 教えてください どうぞ わけを 教えて ください!!」

 

「きみの 絵は動きが 死んどる!!」
「フイルムは 生きておるんじゃ!」 老人は一喝する

 

手塚治虫『フィルムは生きている』(手塚治虫漫画全集55 1977年 p12) より

 


このマンガが執筆されたのは1958年、アニメーション制作自体がまだまだ未熟な時代
アニメーション制作に夢を見る宮本武蔵とライバル佐々木小次郎のお話

 

武蔵の「妹」になり、応援するヒロインお通さんがかわいい
(「彼女」ではなく「妹」になるのが、当時の大人の事情)
髪の毛を切って男の子格好もするし……
今どきといえば、今どきのヒロインだ

 

武蔵と小次郎のラストの決闘(むろんアニメーション制作の)も熱いし、
武蔵少年の……当時の手塚治虫の情熱にあふれるこのマンガを、ぼくは愛してやまない

 

さてさて、ぼくも多分に漏れずアニメで育ってきたわけで、
アニメーションが大好きである


二か月ほど前
サン=テグジュペリの「星の王子さま」(内藤 濯・訳)「あのときの王子くん」(大久保ゆう・訳)のことを書いた

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp


そこで「星の王子さま」つながりで
『リトルプリンス 星の王子さまと私』(2015年)を観る

 


名門学校入学の準備のために、ある街に引っ越してきた少女は、母に「人生設計」を提示され、一分一秒も無駄にしない生活を送ることになる
しかし、隣の家の風変わりな老人が語る、かつて彼が砂漠で会った少年「星の王子さま」の物語に少女は興味を持つ
そして、少女と老人は友人になり……


楽しいアニメーション映画である


現代のCGアニメーションはやはり素晴らしい
リアルであり、ディフォルメされ、スムースであり、コミカルである


アニメーション、それも3DCGだから表現できる動き満載!


一方、老人が少女に語る「星の王子さま」のお話部分は
話を聞いている少女の想像の世界といってもよいが
和紙などを使ったストップモーションアニメーションで作られている


原作の挿絵のイメージがやはり強いので
そこを和紙の持つリアリティな質感を生かしたアニメーションになっている


ディジタルのCGが作品上、リアルな世界で
アナログの和紙で作られたものが、空想の世界
考えてみると、ちょっと不思議


二つの世界が混合するアニメーションということで、
ぼくが思い出したのは、1945年に作られた『錨を上げて』という映画だ

 


休暇上陸でハリウッドにやってきたふたりの水兵の恋物語
ジーン・ケリーフランク・シナトラの二人が踊ったり、歌ったりする、それは楽しいミュージカル
ジーン・ケリーのダンスのすばらしさは言うまでもなく
シナトラが、今のアイドル的立場で、優男役なのも、その後の彼を思うと、とても面白い
さらに本人役で出演のホセ・イトゥルビのピアノも素晴らしいよ!


さらにここで取り上げたいのは、物語の中盤
ジーン・ケリートムとジェリーのジェリーとのダンスだ
そう、実写のジーン・ケリーと、アニメーションのジェリーが共演する


実写とアニメーションの見事な調和
1945年、そうまだ戦争が終わってない時期に公開された映画とはとても思えない
YouTubeにもクリップが上がっていると思うので、興味あるかはぜひ~
もちろん、本編を見たほうがはるかに面白いですがね


さて、
ストップモーションアニメーションは静止している物体を一コマずつ撮影して、動くように見せる
紙、切り絵、人形、クレイなど、さまざまなものを使う
なかでも、クレイアニメーションの『ピングー』が有名だろう


今はCGアニメーションが主流になったので、ストップモーションアニメーションは数が減ってきている


そのような状況の中で、
ストップモーションだけで作られた映画もあるという
それは、観るしかないでしょう!


というわけで『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(2016年)を観る

 

KUBO/クボ 二本の弦の秘密(字幕版)

 

和風のファンタジー世界で、魔法の三味線を持つ碧眼の少年KUBOが擬人化された猿とクワガタとともに
父と母、そして自分の左目を奪った、祖父である月の帝と戦わねばならない物語である


KUBOが三味線を奏でると、折り紙が動き出し、物語を紡ぐ
命を与えられたかのような折り紙の動きは見事だ


折り紙だけでなく、パペットの動きには独特のギクシャク感がある
CGの滑らかさとは違うストップモーションならではの動き


敵キャラのがしゃどくろのパペットは5mの高さになるという
(エンディングで、スタッフがそれを動かすシーンを垣間見せてくれる)
これを一コマ一コマ動かす、まさにストップモーションアニメーション
迫力満点の映像を楽しめる


というわけで、3本の映画を紹介してみた
錨を上げて』を別として、
『リトルプリンス 星の王子さまと私』『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』は現代のアニメーション映画であり
言ってしまえば「子ども向け」になるだろうが、十分に楽しむことができた
たぶん、動きをみているだけで楽しいからだ


生命のないものにanima(魂)を与えて、動かす
それがアニメーション


フィルム(今どきフィルムは使わないけどw)は生きておるんじゃ!


次回はアニメーションではなくて、アニメの話の予定