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まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

009) 神話と伝説のあいだにあるもの

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当時はKoboパーク宮城 今は楽天生命パーク宮城 つまりは宮城球場

 

ナチュラル」という野球映画がある
とても美しい映画だ

 

 

父と子のキャッチボールで始まる

 

父と子のキャッチボールの風景
これこそ、アメリカの原風景である

 

と、
前世紀ならともかく、21世紀も半ばになりつつある今
断定することはできない

 

この父と子のキャッチボールは
アメリカの人々に郷愁を呼び起こさせる一つであるだろう
ぐらいかな


父とのキャッチボールから野球を学んだ田舎の少年ロイ・ハブスはメジャーリーガーになるためにシカゴへ列車で向かう
同じ列車に乗り合わせたリーグ屈指の強打者を、美女へのちょっとした鞘当てから争い、三振に取って天賦の才能を見せつける
そして、シカゴについた彼は……その美女に、銀の弾丸で突然撃たれてしまう

 

それから16年後
35歳になったロイ・ハブスは、弱小チーム・ニューヨークナイツにルーキーとして入団する
最初は干されていたロイは事故死したチームメイトに替わって出場しだすと、大活躍、
ダメダメだったチームもそれにつられてか、勝ち続ける

 

そんなロイの前に二人の女性が現れる
一人は、監督の姪、性的魅力があふれる美女、彼女と付き合うとロイはスランプに陥る
もう一人は、ロイの幼馴染、16年ぶりに再会し、スランプに陥った彼を救う

 

スランプを脱したロイのおかげでチームは勝ち続け、ペナントへもあと一歩
パーティの最中倒れたロイに医者は摘出された銀の弾丸をみせて、野球をこれ以上できない体だと伝える
さらに、オーナーは自分のチームが優勝しないようにロイに八百長を持ち掛ける

 

病み上がりのロイは、ペナントをかけたプレイオフに出場するが、三振し続ける

それを見ていた幼馴染はメモをロイに送る
2点差の九回裏、ロイは最後の打席に立つ

 

この打席が数ある野球映画の中で最も美しいシーンであることは間違いない

 

そして、父と子のキャッチボールで映画は終わる
……TheEnd


これは一つの英雄譚であり、伝説である
「古き良きアメリカ」を体現するヒーローとしてのロイ
その「良さ」は父から息子へと伝えられていくもの


一方、この映画の原作はバーナード・マラマッドの「The Natural」
邦題は「ナチュラル 汚れた白球 -自然の大器」あるいは「奇跡のルーキー」

 


映画と違って、この小説は英雄譚ではない
というか、神話であっても伝説にはならない

 

基本的な設定は映画と同じなのだが、
映画版のロイ・ハブスが過去とのつながり、そして未来へのつながりを持つのに対して
小説版のロイ・ハブスはそうしたつながりがない

 

シカゴで撃たれるロイと奇跡のルーキーとしてのロイをつなぐものはほとんどない
ロイは突然ニューヨークに降臨し、そして活躍をする

 

ロイをめぐる女性も意味合いが違ってくる
一人は監督の姪で、小説でも妖婦的な役割を演じるが、
もう一人は、若い娘のような体を持つ、33歳で孫をもつ女性アイリスである
彼女は母であり、妻である存在なのだ、そう、地母神ガイアのように
本来ロイの精神的主柱になるべき存在なのにもかかわらず、終始、ロイは監督の姪に執着する

 

食べすぎの結果倒れ、高血圧で選手寿命が少ないことを知ったロイは
監督の姪との今後の生活に執着するがゆえに、八百長の誘いを断り切れない

 

そして、最後のプレイオフの試合……

ロイは大きなファールをアイリスに当て、彼女のが自分の子供を身ごもっていることを知る
そして、それを聞いて八百長をやめ、勝つために全力を尽くすことを決意する

 

しかし、子どものころから一緒だった自作のバット「神童」を失ったロイには、
かつて少年時代のロイのような若いリリーフピッチャーを打てることなく三振に終わる

 

自己嫌悪に陥り、街を歩くロイに対して、一人の少年が新聞を見せる
そこには、「ロイ・ハブスに八百長の疑い!」の見出しが
「嘘だといってよ、ロイ!」
嘘とは言えず、ロイはさめざめと泣くのだった

 

 

死にかけの子供をホームランで助けたり、食べ過ぎで倒れるロイ
これらはもちろんベーブ・ルースの逸話であり

 

「嘘だといってよ、ロイ!」
これは、ブラックソックス事件(1919年におきた実際の八百長事件)の際の
「Say it ain't so, Joe!」という逸話である

 

ロイ・ハブスは、ベーブ・ルースであり、シューレスジョー・ジャクソンである
というよりも、野球そのものである

 

映画のロイは英雄なのに対して、

小説のロイは「自分の過去の生活からまったくなに一つ、学ばなかった」天才である
過去とのつながりがなく、過去から学ぶことのない天才は神になれても、英雄にはなれない
人間界とのつながりがないのだから

 

人間の手に入らないもの、添付の才能……無垢な天才「the Natural」

彼のストーリーは伝説ではなく、ギリシアの神々と同じような神話なのだ

 

人間の話と神々の話
ストーリーは同じでも全く違う……というお話

 

 

 

 


ところで、この無垢の天才、naturalってやつ
日本のマンガはその話が上手だよねえ

 

たとえば、
ガラスの仮面」の北島マヤ
のだめカンタービレ」の野田恵

 

実は、久しぶりに「のだめカンタービレ」を読んでいて、
「ああ、のだめはナチュラルだなあ」とおもったところから、今回の話題につながったのは内緒!