過去との対話を楽しめる…そんな人間でありたい

まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

010) この本のタイトル以上のブログのタイトルを思いつけるわけがない

たまには、すこしは新しい本を、と


嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫) 米原 万里 (2004)」

 

を取り出して、読み始める
(あれ?20年ぐらい前の本だ どこが新しいのだろうw)

 

 

そして、一気に読み終える
この一気感に出会える本は少ない

 

こういう本に出合えたことに感謝
だから本を読むことをやめられない


……
しかし、しばしの興奮の後、だんだんと困惑が生まれてくるのだ
このおもしさを伝えるすべを、ぼくが持っていないことに


この映画はおもしろい
この本はおもしろい
○○はおもしろい

 

この「おもしろい」という言葉ぐらい説明不能なものはない
というか、説明を拒否するというべきか

 

あるいは
相手に依存する言語としての日本語の本領発揮なのかもしれない

 

結局は清少納言・「枕草子」のように、
事柄を羅列することしかなくなるのかもしれない
(結局はこのブログだって同じことをしているだけなのかもしれない)

 

実は、この辺のあたりもこの間ちらりと語った橋本治関連で進めたいのだが、
まだそこまでとても届かない

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp

 

なので、話を戻そう

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫) 米原 万里」

 

1960年代前半、チェコスロバキア(今はチェコだね)のプラハの在プラハ・ソヴィエト学校に通っていた少女=「私」
と、その友人たち、ギリシア人の、ルーマニア人の、そしてユーゴスラヴィア人(これがとても難しい)の、との交流
そして、1989年の「東欧革命」以後、「私」がその友人たちに会いに行く

 

プラハ・ソヴィエト学校に通う日本人の少女
著者以外、ほとんどだれも経験できない思春期

 

50年以上前の少年少女でも
50以上の国の少年少女が集まっても
世界中どこであっても彼らたちが興味があることは同じ

 

そんな彼女たちが実に生き生きと描かれる
彼女たちのリアルな会話を読んでいると、
ぼくもその横で話を聞いているかのような錯覚を覚える

 

上手だなあ

 

自分には、上手な文章を書く才能がないので
比較しても意味がないことはわかっていても、わかっていても
羨ましいというか、嫉妬しちゃうぐらい

 

そうか、漱石坊っちゃんのリズムに近いのかな

 

なんて、とりあえずの結論らしきものを出してみる
そうでもないと、なかなか前に進めないのだ

 

この上手な文章に支えられているのが、
もちろん、彼女たちのその後の人生だ


筆者である「私」が日本に帰るので、友人たちとも別れなくてはならない


「私」が日本に帰って数年後、1968年……そう、プラハの春がおこる


「人間の顔をした社会主義」を目指したプラハの春
ソ連ワルシャワ条約機構の戦車によってつぶされて終わるのだが、

 

自主管理路線でソ連と違う社会主義を目指すユーゴスラヴィア
チャウシェスクの独自外交を進め、ソ連と距離を置くルーマニア
中国ともソ連とも離れ「自主独立路線」の日本共産党
1974年軍政崩壊まで戦後の内戦が事実上続くギリシア


「私」も、友だちたちも、自分たちの意思とは違う時代の流れに翻弄されざるを得ない
子どもの時は一つのクラスにいた仲間たちも離れ離れになっていく


最初のうちは友人たちと手紙を交換していても
お互い思春期から青年へと成長する中で音信不通になっていく


そして、1989年「東欧革命」
「世界」は崩壊し、一変する


ベルリンの壁は壊され
ルーマニアの革命でチャウシェスクは殺され
ユーゴスラヴィアは泥沼の内戦を経て解体していく


「私」は再び級友に会えるだろうか?

 


しかしなんですね
「東側社会」の教育と現実
なかなか知る機会がないので、楽しく読める


たとえば、
ある生徒が絵のうまいことを見つけると、先生が学校中に伝える
「芸術的才能はみんなのもの」
ソ連というよりは、ロシア式教育感が面白い


人懐っこいロシア人気質
そして同時にソ連大国主
社会主義社会にある格差の問題
(自分の家の召使を「同志」と呼ぶ矛盾)


理想と現実の両方を否が応でも見せられたこどもたち


1960年代から60年
1989年からも30年以上
彼らはその歴史の流れについて行けただろうか?


残念ながら作者は早くに亡くなってしまったが
(素晴らしい!とおもう女性作家・漫画家などがなぜか早くに亡くなる気が……)

 

その友人たちの老後には 幸あらんことを