過去との対話を楽しめる…そんな人間でありたい

まずは読んだ本の紹介……そして広がる世界……だといいなあ

022) 黒澤明の「天国と地獄」(1963年)を観る

黒澤明の「天国と地獄」(1963年)

 

 


工場からたたき上げで出世した靴会社の常務・権藤(三船敏郎)の家に、
他の重役たちが社長の追い落としをすべく協力を要請しにやってくる
しかし、利益しか考えない他の重役との話は物別れにおわる
他の重役からも、社長からも、会社の実権を奪うために、権藤は株を買い占めようとしていた
全財産をはきだし、そのための資金5000万円を用意し、部下を大阪を飛ばそうとする


そんな時、部屋の電話が鳴る
「あなたの子どもは私がさらった」


「子どもは必ず取り戻す、金はいくらでも払う」と決意する権藤だが、
そこに「ママ~」と部屋に帰ってくる子ども
さらわれたのは、権藤の運転手の子どもだったのだ


子どもを取り違えたことを知った犯人から再び電話がかかる
「子どもが誰だろうと、3000万円、お前が出すのだ」

 

しかし、身代金を払えば、権藤は地位も財産も失うことになるのだ……


身代金を払うのか、払わないのか……


この映画の前半は、権藤の邸宅の大きなリビングを舞台に進む
カメラは、まるで舞台劇のように、ほとんどこの部屋を出ることはない


しかし、半ば以降
身代金を渡すために 特急第二こだまの乗るシーンから
一転してカメラは外へと飛び出していく


権藤(三船敏郎)から、戸倉警部(仲代達矢)へと主役は変わっていく


子どもは返したもののの、まんまと身代金3000万をせしめた誘拐犯(山﨑努)
かれを追い詰めていく刑事たちのドラマをていねいにていねいに描いていくのだ


この映画は白黒映画だが、一瞬だけ、色がつくシーンがある
警察が仕掛けた罠が発動し、犯人にぐっと近づくシーンだ


白黒の画面に、ピンク色の煙

思わず、「おおお」という声を、ぼくは出していた

 


日本の古い映画のおもしろさの根底に
イケメン俳優なんて一人も出てこないことがある
(仲代達矢、山﨑努がイケメン枠????)


一癖も二癖もあるようなおじさんたちばかりだ


あ、「白い巨塔」(もちろん1978年の)の東教授だ! とか
あ、黄門さまが二人も出てる! とか
その他さまざまなチョイ役を発見する楽しさ

 

この映画の舞台は横浜と江ノ島電鉄沿線であり
後半、映画が街に出ると、さまざまな風景に出会える

 

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(これは現代の江ノ電

 

権藤が住む丘の上の大邸宅と、犯人が住む丘の下の街の対比が描かれ、
それは、言い換えると、高度経済成長の光と影になる
まさに、「天国と地獄」の風景


例えば、
「窓が開かない」ビジネス特急こだま
ガラガラの自動車専用道路(横浜新道かな)
……まさに高度経済成長の象徴であり、


それに対して、その成長に取り残されるもの……


横浜浅間町、路地だらけの街並、ゴミだらけの小河川
ワイシャツまで汗びっしょりの男たち
繁華街の大きなレストランバーで踊る米兵
日本語、英語、ハングルで書かれたメニュー


さらに、ラストシーン間近
黄金町の麻薬街!!!

 

そこに描かれる風景は、流行りの「昭和レトロ」では決して語られることない昭和がある

 

021) 「自然はいいなあ」……っていうけど、「自然」ってなに???

「自然に囲まれた生活」の「自然」とは何だろう?

 

例えば、この写真

 

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東京あきる野市 横山入里山


この写真には「自然」は写っていない
しいて言うならば、青い空ぐらいか

 

もう少しわかりやすい写真は

 

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栃木県下野市……だったと思う


水田……田んぼの写真だ


緑にあふれ、蝶が飛び、蛙が鳴こうと
水田は自然ではない


考えてみればわかると思うが、


水田の端と端で高低差があれば、
片方では水がなくて、干からびているのに、
片方では田植えした苗が水浸し
ということになってしまう


つまり、水田、
それも上記写真のような巨大な水田は
精密機械並みの「人工物」であって、「自然」ではない


里山にしてもそうだ、
雑木林にしてもそうだ


これらは人間の手が入ることが前提に作られた「人工物」であって「自然」ではない


明治半ば、東京府下渋谷村!に住んだ国木田独歩は周辺の武蔵野について次のように語る


「昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。」(国木田独歩 「武蔵野」 青空文庫 )

 

www.aozora.gr.jp


かつて一面の萱原だった武蔵野は、江戸市民の燃料供給のために、広大な雑木林になった

 


雑木林は「自然」ではない、「人工物」なのだ


現代の日本に人間の手の入らない「自然」は
北海道や沖縄、あるいは白神山地などごく一部にしか存在しないものだ

 


ここまで、書いてきたので、おわかりだろうが、
ぼくはいま、「自然」=「人間の手が加わってないもの」という意味で使っている
これは“nature”の日本語訳で、という意味である


しかし、日常的には「自然」という言葉は、単に「山川草木」という意味でつかわれることが多い

 

kotobank.jp


水田や里山を見て、もしも「自然はいいなあ」と感じたとしたら、
それは「山川草木」のことであり、
その時の心情は、「花鳥風月」(山川草木を愛でる気持ち)を表しているのだろう

 

kotobank.jp


ところで、ネット上の英英辞典でいろいろ検索をしてみると
英語の“nature”も「山川草木」のイメージが強いみたいだが、それでも 

 

everything in the physical world that is not controlled by humans, such as wild plants and animals, earth and rocks, and the weather

「人間によってコントロールできない物質世界にかかわるすべてのもの」

 

www.ldoceonline.com

 

やはり“physical”という“mental”に対立する概念がきちんと入れられている

 

“nature”の反対語は“art”であり、「自然」と「人間」は対立するものである

 

そのうえで、“nature”の「日本語の意味」を調べてみると


自然, 自然界(人間・精神・人工などと対立したものとしてとらえられている. 日本語の「自然」には人間・精神なども含まれることがあるので注意)

 

kotobank.jp

 


……

日本語の「自然」には人間・精神なども含まれることがある


え?
ええ?


これはいったいどういうことのなのだろう?


本来、自然と対立するはずの人間・精神を包容する「自然」という言葉
どう見ても定義違反だけど、どうしてこうなっているのだろうか?


答えを先に言えば、
ぼくらが使う「自然」という言葉には
“nature”の訳としての「自然」という言葉があり
さらに別の「自然」という言葉があるということだ


実は、前近代から(仏教用語由来の)「自然(じねん)」という言葉があり
“nature”の翻訳語として「自然」という言葉を仮借したということが正しい


その前近代から使われている「自然」については
そう、形容動詞・副詞としての「自然に」ならわかりやすい
つまり、「自動的に」という意味で使う「自然」である


「自然とアイディアが浮かんじゃった」
といったときに、「山川草木」の意味はまったくないだろう


“nature”よりも“natural”のほうが、日本語にぴったり合う気がするのも
もともとの「自然」という言葉には名詞の意味がないからだ


だから、ぼくらは「自然」という言葉を使うときに
「山川草木」のことなのか、“nature”のことなのか、
翻訳以前に使われていた「自然(じねん)」のことなのか
訳が分からないまま、あいまいのまま使うことになる


むしろ、あいまいだからこそ「自然」という言葉は便利なのである


そのことを柳父章は「カセット効果」という言葉で説明する

 

 

 

むずかしそうな漢字には、よくは分らないが、何か重要な意味があるのだ、と読者の側でもまた受け取ってくれるのである。
(「翻訳語成立事情」 (岩波新書 黄版 ) 柳父 章 (1982年)p36)


この「自然」ということばに、翻訳語に特有の、あの「カセット効果」が働いているのだ、と考えられるのである。実はよく意味が分らない、が重要な意味がそこにはこめられているに違いない。そういうことばから、天降り的に、演繹的に、深遠な意味が導き出され、論理を導くのである。(「翻訳語成立事情」 (岩波新書 黄版 ) 柳父 章 (1982年)p142)


柳父章は翻訳された漢語的単語の「カセット効果」を述べているが、
これは逆に翻訳されないカタカナ言葉も同じ効果を持つだろう
(これをいま、非翻訳語と呼ぼう)


例えばコンピュータ用語など、カタカナで書かれることで、「よくは分らないが、何か重要な意味があるのだ」
としばしば思うことは、経験的に理解できると思う


翻訳語にしろ、非翻訳語にしろ、
「よくは分らないが、何か重要な意味があるのだ」という効果が有効なのは
日本語が相手に依存する言語であるゆえんだろう


「っぽい」「みたいな」「なんか」「とか」


ぼくらの言葉が断定を避け、あいまいな表現を多用するのは、
相手に依存し、相手との共感関係を維持しようとする方法に他ならない


そのためのマジックワードとしての翻訳語、非翻訳語の存在はやはり大きいに違いない

 

だから「自然」という言葉はわかるようでわからないのも、ある種当たり前なのだろう
日本語は難しい!!!

 

020) 「武家の歴史」 (岩波新書 青版) 中村 吉治 を読む理由

 

久しぶりに仙台へ行ってきた

 

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秋の仙台駅

 

なかなか、書き進められない、このブログ……


そんな状態ではあるが、
このブログを僕が書こうと思ったのは、
恩師の死を友人から伝え聞いたからだ

 

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その恩師のお宅へご挨拶に行かなくてはならない
今回の仙台行きは、そのためである

 

 


その道中に
武家の歴史 」(岩波新書 青版) 中村 吉治 1967年
を読む

 

 

中村吉治は、恩師の先生に当たる人であり、
日本における社会史、農村史の先駆者である


7年ぐらい前、恩師のお宅にお邪魔した時
これが、ぼくが恩師にお会いした最後なのだが、
そのときに、本書を買ったことを報告したことを覚えている


それからずっと、積読のまま、時が過ぎて……
ようやく、今回読むことができた


本書は、古代から近世、そして近代にいたる
武家(武士)の通史である


名や荘という村落共同体の族長として武家(武士)が
どのように発生、成長、変化していくのか
変化の先に、まったく違うものとしての近世の武家になり、
明治をむかえて、それが消滅する


有名な武将や合戦の逸話……
そういうものはほとんど出てこない


しかし、
その中でも平安後期から源平合戦は比較的に細かく説かれている


これは、筆者が
武家が村落共同体の族長であり、より上位の武家と結びついていくこと
つまり、在地の武家と棟梁との臣従関係・家人関係こそが武家世界の典型であり、
その姿を戦記物(それ以外に史料は少ないし)から描こうとしているからだろう


村落共同体こそ、武家の基盤である
そして村落共同体こそ、日本の歴史の基盤に他ならない


名高い武将がヒーローなのではなく
共同体(とその構成員)が変化(進歩)し、日本の歴史を進めてきた原動力である


これが社会史、農村史の泰斗はそれを強く言いたかったことに違いない


Wikipediaにも載っている中村吉治の有名な逸話


卒業論文に農民の歴史を書こうとしたら
指導教官に「百姓に歴史はあるのか?」といわれたと言っていた
と、恩師は何度か話してくれた

 

ja.wikipedia.org

 

当時、ぼくはその指導教官が「悪名高き」※平泉澄だったことをもちろん知る由もなかったのだが


※ある筋から見れば「悪名高き」だが、別の筋から見れば「高名な」になる
こういう筋の違いはあってしかるべきだろう(そういう筋があってこその学問ともいえる)


「私は○○村のあぜ道一本一本すべて知ってます」


中村吉治の弟子である恩師が語った、この言葉が
「百姓に歴史はあるのか?」という質問の答えに他ならない


恩師に教わった数多くの人々と違って
何の専門家にもなることもなかったぼくは
恩師の弟子といえるものではない


ぼくが恩師に教わったことはたった一つ
「学ぶこと」の楽しさだけだ


ぼくは勉強が嫌いだし、勉強ができない。
だけど、学ぶことは嫌いではない
これだけは自信をもって言うことはできる


だからこそ
ぼくは少しずつでもこのブログを書いていきたいと思う


それが恩師の教え子であることの証明なのだから

 

 

 

仙台はまさに紅葉の時期だった

 

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荒町公園にて①

 

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荒町公園にて②


黄色い公孫樹の葉を踏みしめながら
ぼくは恩師の教え子であることを誇りに思っていた

 

019) 「漢字伝来」を読む(短め路線をめざして!)

「漢字伝来」 (岩波新書) 大島 正二 (2006年)

 


最近読んだ本、たぶん再読


文字を持たない日本列島の人々が
中華文明の漢字に出会い、それを受容し、
漢字を使って日本語を書き表すことができるようになり、
さらに、片仮名、平仮名を発明し、
現在のような仮名漢字混ざり文として記述できるようになる話


当たり前の話であるが、
漢字は中国語を表記するために作られた文字であり
本来、日本語を表記するためのものではない


そこで、渡来人を中心として
(主に外交文書を)漢文として書くことから、まずは始まり


日本語の固有名詞を漢字で書くことの必要性から
漢字を仮借(宛て字)することから、
日本語の漢字表記が始まる


さらに漢文を日本語として読む方法が模索され
漢字を訓読み(大和言葉の意味で読む)し、
中国語の文法で書かれている漢文を
日本語の文法で読む方法(返り点など)が生まれる(漢文訓読)


文を音として読みあげる必要がある祝詞宣命(読みあげる命令)
逆に音を文として書きあげようとした和歌


読む人も書く人も同じ日本語を使う人のための文章が普及するために
そう、万葉仮名が生まれる


この万葉仮名の表記の多彩なこと!
たとえば、本書であげられている歌を一つ取れば……


潮左為二  五十等児乃嶋辺  榜船荷    妹乗良六鹿   荒嶋廻乎
しほさゐに いらごのしまへ  こぐふねに  いものるらむか あらきしまみを


潮騒の中で 伊良虞の島辺を 漕ぐ船に 彼女も乗っていることだろうか 荒い島の周りを) 万葉集 巻一・四ニ

 

www.manyoshu-ichiran.net

 

この歌には九九の2×5=10が隠されている


「算法少女」にも万葉集に九九が載っているとの話題があったのを思い出す
ああ、これなのだなあっと
九九も万葉仮名同様に古いという話

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp

「算法少女」については、上を参照のこと

 

この後、片仮名、平仮名の発明で漢字の日本語化は完成するのだが
そこは割愛しよう

 

 

日本以外に、中華文明の周辺文明には、
朝鮮半島やヴェトナム、そして北方の遊牧諸国家があるわけだが、
それら諸文明が漢字とどう向かい合ったか
ということも、この「漢字伝来」には、簡単にではあるが、のべられている


西方由来のアラム文字系が使われた北方遊牧民は別として
ハングルや、ヴェトナムの(今は使われてない)チュノムに比べて
漢字の日本語化が早かったのは、なぜだろうか?


まず、一つには、音声言語としての日本語が母音数が少ないなど、単純なことだろう
宛て字をする際に音声数が少ないことは有利に働くに違いない


そして、文明論的に考えると
日本列島が中華大陸と適度の距離にあり、
文化の受容が遅れがち、間接的であったことが大きい


中華文明への接触が遅く、間接的だったことは
口承文学としての和歌の発達を独自に進めることができた


もしも、和歌の発達がなければ、
日本語を表記しようという意識がどこまで生れていただろうか?
漢文、漢詩中心の創作活動になっていた可能性がたかいと
ぼくは思うのだが、果たしてどうだろうか?


中華文明の最も辺境にあったことの果実と
古代の人の創意工夫とその努力に
感謝の念を!!!!

 

今回は固有名詞以外のカタカナ語を使ってないのだ
気づきました?

 


どうしても、ぼくの文章は無駄に長くなり、
さらに調べ物で書くの時間がかかってしまう
すこしは短めの路線を……と思ったのだが、
やはりこのぐらいの長さになってしまうのだ

 

困ったもんだ……

 

 

018) 星の王子さま と あのときの王子くん

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横浜馬車道 横浜正金旧本店

 

前回は映画の「ガス燈」

 

tankob-jisan.hatenadiary.jp

 


そして、ガス燈といえば、
サン=テグジュペリの「星の王子さま」(内藤 濯・訳)「あのときの王子くん」(大久保ゆう・訳)を思い出すでしょ?

 

www.aozora.gr.jp

 


王子くんが立ち寄った星の中に
あかり(ガス燈)が一本、あかりつけ(点燈夫)が一人がいる星がある


その星は一日が1分なので
あかりつけは点けたり、消したり、点けたり、消したり、点けたり、消したり……


いろいろめぐった星々の中で王子くんはこのあかりつけだけは友だちになれると思ったのだが、
あまりにも小さい星だったので、そこを後にして、別の星に向かったのだ


ガス燈には点燈夫が必要
当たり前だけど、忘れがちなこと


だから、映画「ガス燈」にも、街燈を点灯する役の人のシーンがちゃんとある


横浜・馬車道には 日本初のガス灯という史跡があるけど
ついでに、点燈夫のことを思い出してあげよう

(ガス灯の写真がなかったので、横浜正金旧本店で勘弁してね)

 

星の王子さま」といえば、岩波書店の内藤 濯の訳というイメージが強いのだが
21世紀に入って翻訳独占権が切れたので、各社から新訳が出たらしい


星の王子さま」「新訳 星の王子さま」「プチ・プランス」「小さな王子」「小さな星の王子さま」「ちいさな王子」「小さい王子」
各社、結構有名な作家が訳していたりして、頑張っているようだけれど
どこまで、違いを出せているのだろう?


その中で「あのときの王子くん」(大久保ゆう・訳)という題名だけが
やはり異彩を放っている


しかも、フリーで公開され、青空文庫にも入っているのだ
これは、さっそく読まなくてはなるまい


ぼくは内藤訳「星の王子さま」で育ったのだけれど
今回大久保訳の「あのときの王子くん」を読んでみてイメージがずいぶん違う


大久保訳が朗読されることを前提に、やまとことばで表現しようとしているというのが一つあるだろう
上記「街燈」を「あかり」、「点燈夫」を「あかりつけ」と訳しているところからもそれがわかる


王子さま(王子くん)が最初に現れるシーンを見てみよう


「すると、どうでしょう、おどろいたことに、夜があけると、 へんな、小さな声がするので、ぼくは目をさましました。
声は、こういっていました。
『ね……ヒツジの絵をかいて!』」
(「星の王子さま」 内藤 濯・訳 岩波少年文庫 1953年 P11)


「だから、ぼくがびっくりしたのも、みんなわかってくれるとおもう。
じつは、あさ日がのぼるころ、ぼくは、ふしぎなかわいいこえでおこされたんだ。
『ごめんください……ヒツジの絵をかいて!』」
(「あのときの王子くん」大久保ゆう・訳 青空文庫 2章)


ここにはリズム、そう読むためのリズムがある
そして、聞いて意味がスーッと入ってくるために言葉が選ばれているのだ


実は、逆に意味がスーッと入らないところもある


王子くんがキツネに出会うシーン


「『きみ、だれ?』と王子くんはいった。『とってもかわいいね……』
『おいら、キツネ。』とキツネはこたえた。
『こっちにきて、いっしょにあそぼうよ。』と王子くんがさそった。『ぼく、ひどくせつないんだ……』
『いっしょにはあそべない。』とキツネはいった。『おいら、きみになつけられてないもん。』」
(「あのときの王子くん」大久保ゆう・訳 青空文庫 21章)


大久保訳の<なつける>という言葉の意味が最初よくわからなかった
大事なシーンなのに読みにくいなあ、と最初は印象を持ったものだ


そこで、内藤訳をのぞいてみると<飼いならす>となっている


内藤訳では
<飼いならす>の意味を尋ねる王子さまに対して、
キツネは<仲よくなる>の意味だと答える


なるほどわかりやすい……と思いながら……
ふと、違和感を感じる


<飼いならす>はどうみても<仲よくなる>というような両者が対等な意味ではない


一方
大久保訳の<なつける>は自動詞<なつく>の他動詞で「なつくようにする」という意味


では<なつける>をキツネはどういうのだろうか?
キツネは答える。 <きづなをつくる>と


王子くんの旅の目的に「友だちを見つける」ということがある以上
<きづなをつくる>という言葉が一番しっくりくる


そして、
ここまでかんがえて、ぼくはようやく気付いたのだ


ここは王子くんと読者(聞き手)が同じ立場になるべきシーン
だから、キツネの<なつける>という言葉をわからなくてもいい
ということに


読者(聞き手)も、王子くんと同じように何度も
「<なつける>って、どういうこと?」
と聞けばいいのだ


<なつける>
この言葉を選ぶ背景にどれだけのものがあったのか……


翻訳する行為に、心から敬意を表したい


「あのときの王子くん」という作品の魅力は
ネット上にて、フリーで公開するという現代的な意味をふくめて、
この「翻訳するという行為」の意思の強さにあるだろう


中華文明の周辺として成立した日本は、さらに近代西欧文明を受け入れることになる
(そもそも、近代化=西欧化なのかどうか、ぼくにとって一番のテーマなのだが)


中華文明の漢字を導入し、漢文を翻訳する
(そのやり方を敷衍しつつ)西欧語を翻訳する


この連続が日本の文明であったといっても過言ではない


20世紀の内藤訳の言葉
21世紀の大久保訳の言葉
どちらが正しいということではない


時代や状況に合わせて、どのように言葉を選び、作り上げていくのか


翻訳というのは単に受容するだけではなく
主体的な言葉づくりに他ならないということを
思い出せてくれたことを感謝しよう

 


最後に
キツネが王子くんに話す有名なシーンを……


「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
(「星の王子さま」 内藤 濯・訳 岩波少年文庫 1953年 P115)

 

「心でなくちゃ、よく見えない。もののなかみは、目では見えない、ってこと。」
(「あのときの王子くん」大久保ゆう・訳 青空文庫 21章)

 

017) やっぱり、イングリッド・バーグマンはすばらしい

化物の正体見たり枯尾花 (横井也有


この有名な句も、知覚と認知のずれを見事に表している


前回、考古学について、書こうとして、なぜか、このずれについて語ってしまった
そして、その話がまだ続く……


今回、この「ずれ」で思い出したのが、「ガス燈」というサスペンス映画だ

 

 

これには、イギリスで作られた1940年版とアメリカで作られた1944年版がある

 

ja.wikipedia.org


イングリッド・バーグマンがオスカー(アカデミー主演女優賞)をとった1944年度版のほうが有名だ


あらすじは
19世紀後半、広場に面したある家(そこでかつて殺人事件が起こったのだが、まだ未解決)にある夫婦が暮らし始める
暮らし始めてから、ものを紛失したり、家のものを隠したりという異常行動が妻にみられると夫に指摘される
繰り返し指摘され、妻は自分が異常なのではないかと思い、不安に駆られるようになる
そして、毎晩のこと、夫の外出後、部屋のガス燈が暗くなり、屋上から物音が聞こえるという「幻覚」を覚え始める


当時の家庭用のガス燈は、供給されるガスの量が一定なので、多くの部屋で使うと、その分暗くなる


夫が外出して、使用人をのぞけば誰もいないはずなのに、ガス燈が暗くなる!


というのが、この映画のキーであり、
妻の心理状態のメタファーである


40年と44年の映画を比べてみると
映画としてよくできているのは、やはり44年の方だ


40年のものより、44年の方が上映時間も長いこともあって、ストーリーに無理なく入る


また、「ああこれが伏線かなあ」と思ったところが、きちんと後で回収されてくれたのはうれしい
このおかげで探偵役(「第三の男」の主役ジョゼフ・コットン!)が活動する動機が明確になる
ハリウッド的なメロドラマの香りを入れつつ、サスペンス満載の映画
お客を飽きさせないつくり


では、40年版の出来が悪いのか?といわれると、やはり答えはノーだ
その魅力は、そのヴィクトリア朝期のイギリスらしさだ


44年はシャルル・ボワイエが夫役だけあって、甘さがある


それに対して、
40年度版の夫は、
若い小間使いに手を出しては、見下すという態度をとる
妻に対する言葉も冷酷そのものの
階級意識を強く表し、そこはとてもリアルなのだ


また、
妻がなくしたはずのブローチのありか
最大の問題、財宝ルビーのありか
この二つのあらわれ方も44年版より40年版のほうがスマートだと思う


44年度版の一番の魅力は、やはり、イングリッド・バーグマン
「正常」から「異常」へ変わる顔だけの演技
次々と現れるさまざまな表情
そして、鬼気迫るラストシーン


ほんとうに必見!


この映画は知覚と認知のずれが
認知能力を壊そうとする他者からの圧力で広がっていく話である


「わかる」ということが実はどれだけ危ういか、まざまざと感じさせてくれる

 

この「ガス燈」という映画をきっかけにして
ガスライティング」という言葉がうまれ、今では専門用語になっているという


その意味は精神的虐待、とくに「他人の現実認識能力を狂わせようとする試み」のことだという

 

ja.wikipedia.org

 

これも、バーグマンの熱演あってこそだろう


そして、最後に一言
40年度版でも、44年度版でもそうなのだが、
妻に反抗的でありつつ、夫には媚を売り、そして夜、男の人(警官)とデートをする若い小間使い
彼女がこの話の中で美味しい役なのだが


44年度版では若きアンジェラ・ランズベリーが演じている

 

邦題名で大損している「クリスタル殺人事件」(原作は「鏡は横にひび割れて」)のミス・マープル役をやった女優だ

大柄でちょっとミスマープルぽくないけどw
原作の小説は傑作だし、オールスターキャストなので、楽しい映画である

 

 

 

ここまでぼくはmaidのことを小間使いと書いてきた


というのも
44年度版のばあい、このmaidをメイドと訳しているのだが、
40年度版のばあい、メードと訳している……
(たぶん、40年度版のほうが字幕の訳が新しい)


いつから、メイドをメードと呼ぶようになったのだろう?


メードという語感にすごく違和感を感じて
なにか違う仕事をする人だとしか思えない


本来
男性使用人も女性使用人もさまざまなランクに分かれ、仕事もわかれている
当然職名もたくさんある


たとえば、本来は執事=バトラーではない
執事はスチュワード(steward)であり
主人の酒の管理人がバトラー(butler)なので、別の仕事
(この頃はbutlerの訳が執事になってしまったので、stewardを家令と訳すべきだそうだ)


上ではmaidを小間使いと訳したけど
maid=小間使いかといえば、実はそれもあやしいw
小間使いは奥様付きのmaidであり
いわゆるメイド、house maidはやはり女中というべきだろう
小間使いと女中ではやはりクラスが違うのだ


この件については
「召使いたちの大英帝国 」(新書y) 小林 章夫 を参照した

 

 


さまざまな召使がいて、役割があることこそ、イギリスの文化なので
その辺をきちんと使い分けてほしい


召使といえば「執事」「メード」


このイメージがとてつもなく恥ずかしく感じるのは
ぼくがやっぱり年寄なのかなあ


こういイメージの単純化こそ
「ガス燈」におけるガスライティングと近く感じるのはぼくだけだろうか?

 

016) 最初は、こんな話を書くつもりじゃなかった

エドワード・S・モースは来日後、横浜から東京(新橋)への移動の際に
汽車の窓から大森付近の鉄道工事あとにたくさんの貝殻を発見した

 

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(確かに鉄道のすぐわきを通る)


これは、何事も観察が大事というお話
電車の中で本ばかり読むぼくはきっと何も発見しえないだろう

 

シャーロック・ホームズも「ボヘミアの醜聞」の中で、ワトスン君に言う

「きみも、見てはいるのだが、観察をしないのだよ。見るのと観察するのとではすっかりちがう。」
(「シャーロック・ホームズの冒険」 (創元推理文庫コナン・ドイル 阿部知二訳 p12)

 

 

人は見ているのに、観ていないことがあるし
また、見ていないものが、見えてしまうこともある

 

知覚と認知のずれというのは、ぼくらの生活の中でしばしば起こりうるものだ
この問題でいつも僕が思い出すのは、次の作品だ

 


「皇帝のかぎ煙草入れ【新訳版】」 (創元推理文庫) ジョン・ディクスン・カー

 


イヴ・ニールは向かいの家の青年トビー・ローズと婚約するが、
イヴの前夫ネッド・アトウッドはそれを聞きつけ、イヴの家へ夜中に侵入し復縁を迫る
その言い争いの最中、ネッドとイヴは向かいの家でトビーの父モーリス・ローズ卿が殺された姿と何者かがその部屋を出ていくところを目撃する
そして、状況証拠からイヴに嫌疑がかかり……


離婚しても同じ家に住み続けるなら、普通鍵を交換するだろ?
とか
いくら状況証拠とはいえ、あまりにも貧弱じゃねーか
とか、
ツッコミどころは満載ではあるw


推理小説のトリックなので、詳細は差し控えるが
この小説のトリックは、ぼくはありだと思う

叙述トリックのようでそうではないところを評価したい

 

 


……
なぜ、こんな話に……

実のところ、大森貝塚の話から、考古学の話に向かおうと思っていたのだ

 

エドワード・S・モースの話を始めたのは、日本の考古学の祖であるという事実ももちろんだが
たまたま、ぼくが大森貝塚(上記)の写真を持っていたからである

 

上記のモースが車窓から貝塚の発見した話はもちろん知っていたのだが、
そして、この話は認識論の話だと思ったところで、話がかなり脱線してしまった
ぼくらしいといえばぼくらしい


さらに、モースの業績を調べるために

「お雇い外国人--明治日本の脇役たち」 (講談社学術文庫) 梅渓 昇

 


これを一気に読んでしまって、さらに考古学から遠ざかってしまった

 

お雇い外国人
幕末、明治職にかけて、日本の近代国家建設のために、政府や府県にやとわれた外国人のこと

 

モース

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フルベッキ

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ボアソナード

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エスレル

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シャンド

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フェノロサ

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デニソン

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などなど、
むろん、ある程度何をやったかを知っていたつもりだったけど、


ぼくが思っていた以上に
彼らの知識・経験・技術が日本の近代化に果たした役割は大きいのだ


万延元年遣米使節に同行した福沢諭吉の有名なエピソード
科学分野については書物で知識があったから驚かなかったが、
文化の違いについては衝撃を受けた

という話を考えてみれば、


技術科学の導入はもちろんのこと
政治・外交・金融……どの分野だって
外国人顧問がいなくてはほとんど何もできなかったはずなのだ


特に、
明治憲法制定に、ロエスレルが強くかかわっていたことは気づかずにいた
これは明治憲法制定過程をもう一度調べてみる必要があるね

 

認知の話や考古学の話はまたのちほど~